2008年01月09日

聖ピオ十世会の叙階は有効である



聖ピオ十世会の叙階は「違法だが有効」という事に関して、一部で混乱や誤解が見られるようなので、ここで整理しておこう。
「違法だが有効」な叙階について理解するためには、前提となる二つの事柄を知っておく必要がある。
T.叙階の秘跡の永遠性
U.合法性(licitness)と有効性(validity)の差異
以下、順次、説明しよう。


T.叙階の秘跡の永遠性

叙階の秘跡はいったん受ければ取り消しえない。つまり、誰も一度有効に成された叙階を無効にすることはできない。これはカトリック教会において、教義として教えられている。"Catechism of the Catholic Church"(以下CCC)を見てみよう。

CCC 1582 洗礼と堅信と同様に、このキリストの職能の分与は一度かぎりで完全に伝えられる。他の二つと同じように、叙階の秘跡は取り消しえない霊印を与え、繰り返すことはできないし、一時的に授けることもできない。

教会法はより簡明である。

第290条 聖なる叙階は、一度有効に授けられたならば決して無効にはならない。

叙階の秘跡の主体は究極的には神であり、叙階の秘跡そのものは、いわば客観的事実である。
それゆえ教会は、叙階の有効性についての事実判断はできるが、有効な叙階を無効にすることはできない。教会ができるのは、ただ、その権限の行使を教会法的に禁止することだけである。

CCC 1583 有効に叙階された者は、正当な理由によって、叙階に結びついた義務と職務が解かれたり、それらの行使を禁止されうる。それは正しい。しかし、彼は厳密な意味において俗信徒になることはできない。叙階の日に受けた召命と宣教の使命は、彼に永遠に印づけられている。


第1338条 (2)叙階による権限を剥奪することはできない。ただし、その権限の全面的行使、又はその権限の部分的行使のみを禁止することができる。

聖ピオ十世会の司祭たちは、教会によって聖職権停止(suspension a divinis)を受けている。従って、現在彼らが司祭の職務を行うことは違法である。しかし、彼らの叙階の秘跡そのものを教会は無効にできないから、聖職権停止を受けた後も、彼らの叙階は有効のままである。これは叙階の教義そのものから論証できる。


U.合法性(licitness)と有効性(validity)の差異

合法性と有効性の違いは、特に教義として教えられることはないが、教会法の言語に慣れ親しんでいれば、ほぼ常識に属する
ここではPete Vere/Michael Trueman"Surprised by Canon Law"(SERVANT Books)を見てみよう。Vereは元聖ピオ十世会員で現在教会法学者の著述家。ちなみにこの本は教会検閲済(Nihil Obstat&Imprimatur付)である。

問7 教会法における有効(valid)と合法(licit)という語の違いとは何か?


有効性はその行為の実質にかかわり、合法という語は法に適っているかどうかにかかわる。例えば、溯ること1988年に、ルフェーブル大司教は、前もって教皇ヨハネ・パウロ2世からの委任状を得ることなく、四人の司祭を聖別した。この行為は有効(valid)である。なぜなら、ルフェーブル大司教は有効に司教に叙階されており、したがって、他の司教を聖別する権能を有するからである。しかし、大司教は教皇許可なしの司教聖別に対する教会法による禁止命令を守らなかっただけでなく、実際、そうしないようにという聖座の直接の命令の後に、司教聖別を実行した。この違法行為の結果として、教会はルフェーブル大司教と違法に聖別された四人の司教を破門した。
それにもかかわらず、聖ピオ十世会のためにルフェーブル大司教が聖別した司教たちは本物の司教(real bishops)である。カトリックの司教がすべてそうであるのとまったく同じように、彼らは秘跡を執行する力を有する。ルフェーブル大司教の離教運動を離れてカトリック教会に戻ってきた諸個人を、教会は再堅信しない。また、聖座に歩み寄り、カトリック教会との和解を求める聖ピオ十世会の司祭職(Priesthood)を、教会は承認している


"Surprised by Canon Law",SERVANT Books,2004,pp7-8

非常に明瞭な解説であり、誤読の余地がない。要するに、合法性と有効性は別の概念であり、叙階に関して言えば、違法性は有効性にまったく影響しない。それゆえ、ルフェーブルによる違法の司教叙階も、秘跡としては有効である。なぜなら、ルフェーブルは有効に叙階された司教であり、定まった形相と質料によって叙階を行ったからである。
デンツィンガー・シェーンメッツァー資料集から例を引こう。

離教した司教アカキウスが洗礼を授けた者、また彼が規定に従って司祭、聖職者に叙階した者はアカキウスの離教によって影響を受けない。秘跡の恩恵は悪人によって授けられても弱められないことは明らかだからである。(略)
したがって、悪人は善を取扱うことによって自分自身だけを傷つける。悪人によって授けられた秘跡は神聖さを汚されることなく、それを受けた者にその力を与える。


Exordium pontificatusu mei(DS 356)

したがって、ルフェーブル大司教が聖職権停止を受けた1975年から破門される1988年までの司祭の叙階のみならず、それ以降の、破門された聖ピオ十世会の司教たちによる司祭の叙階も、やはり有効である。「離教」(状態)は叙階の有効性に影響しないからである。
破門された司教をVereが「本物の司教」(real bishops)と呼ぶことに抵抗を覚えるローマ・カトリック信徒は少なくないであろうが、秘跡の観点から見れば完全に正しい記述である。
だいいち、教会のさる高官も同様の発言をしている。それは誰あろう教皇ベネディクト16世であり、教理省長官時代に次のように語っている。

教会法によれば、違法ではあるが有効な叙階があります。私たちはこれらの若い人々の人間的側面をも考慮しなくてはなりません。彼ら(聖ピオ十世会の司祭たち)は、教会の目から見れば、「真の」司祭('true'priests)です。正常ではない状況下にいますが。


"The Ratzinger Report",Ignatius,1985,pp32-33

この発言は、1988年の違法の司教叙階前であるが、すでに聖職権停止を受けているルフェーブル大司教によって違法に叙階された司祭たちについてである。合法性と有効性の差異から、Vereが聖ピオ十世会の司教たちを「本物の司教」と述べたのと同じ理屈で、ラッチンガーが聖ピオ十世会の司祭たちを「真の司祭」と言っていることは明白である。もちろんここでラッチンガーは、単に教会法的観点からだけではなくて、司牧的観点からもこのように語っている。


結論

見てきた通り、ローマ・カトリックの立場から見て、「聖ピオ十世会の叙階は有効である」ことは疑いない。しかし、だからどうだというのか? 有効であることは事実でも、聖ピオ十世会の司祭たちは聖職権停止を受けており、彼らのミサは違法である。それゆえ、「カトリック信徒は聖ピオ十世会のミサには行くべきではない」ということも、あいかわらず真である。
聖ピオ十世会の叙階が有効であるという事実は、たしかに彼らの宣伝の道具になってはいるが、正確に理解していれば、特に彼らに有利に働くわけではない。むしろ、この事実を否認し、不正確な知識に基づいて聖ピオ十世会を批判することの方が、論者にとって不利になるだろう。根拠のない偏見からは、ただしい批判は生まれないからである。

(文責・金田一輝)



posted by kanedaitsuki at 10:59| Comment(44) | TrackBack(0) | 神学・教義 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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