2008年08月21日

Francis A. Sullivan "The Church We Believe in: One, Holy, Catholic, and Apostolic"

フランシス・A・サリバン『私たちの信じる教会:一、聖、公、使徒継承の』は、斬新且つ緻密且つ非護教的な本を出版しつづけている著者による、現代カトリック教会論を探求した本である。
裏表紙から。


教会論における違いがキリスト教徒の一致を阻害する最も頑強な障害物の内の一つであることが徐々に理解されている一方、ほとんどのキリスト教徒が「一、聖、公、使徒継承の教会」の信仰を告白することに同意しているという事実は、希望の良き基礎である。たしかに、「一なる教会」についての私たちの信仰の間にある矛盾にまじめに直面することは、エキュメニカル運動の主要なモチーフである。
もちろん、キリスト教徒が教会についての信仰告白において同じ語を使用しているという単なる事実は、教会論に関する大きな違いを除去しない。「『教会』と呼ぶ時、何を意味しているのか」「教会を一、聖、公、使徒継承であるということを以下に理解しているのか」と問われた際、実に様々な答えがある。そこで、エキュメニズムの発展には、私たちの告白する信仰の共通理解に達するための努力が必要である。ここでは神学が重要な役割を持つ。なぜなら、神学は「理解を求める信仰」と定義されているからだ。エキュメニカルな対話が最も実りあるものとなるのは、それぞれ異なった神学的伝統に属する人々の側での、共通の信仰として告白している信条のより深い理解を探求するために協力して努力する場合である。深い理解によって、違いにもかかわらず自分たちが一つであるという共通の基礎を得るだろうという希望を持って。
このプロセスにとって決定的な一歩は、キリスト教徒が各自の伝統に照らして、信仰の理解を深め、明らかにしようとすることである。この本の目的はそれだ。ここで探求していることは、ローマ・カトリックの伝統に照らして、教会に関する信仰告白の理解なのである。


フランシス・A・サリバン(イエズス会士)はローマのグレゴリアン大学進学教授である。


第二バチカン公会議がカトリック教会論の新たな地平を創出したというのは事実で、それはとりわけ教会を表現するために「救いの普遍的秘跡」(「教会憲章」48)という語を導入したことに現れている。秘跡という言葉から、秘跡論の文脈での深化を示唆しているだろうし、教会の神秘的性格(sacrament=mystery)の強調ということもあろう。この本で著者は、普遍性(catholicity)が新たな形で表明されているのだと見る。

教会を「救いの普遍的秘跡」と描く時に表現されている普遍性の新たな側面は、全ての救いの恵みが教会へと秩序づけられているだけでなく、いくつかの仕方で教会からまた教会を通して来るということでもある。すべての救いの記しであり道具として、教会は恵みが向けられる単なる目標ではなく、恵みが与えられる経路ないし媒介物である。


"The Church We Believe in",Paulist,1988,p110

してみるとこの新たな普遍性の側面は、救いにおける教会の絶対的必要性をより深く開示したものと受け取られる。ここで問題になるのはもちろん、有名な「教会の外に救いなし」という格言だろう。
posted by kanedaitsuki at 12:51| Comment(0) | TrackBack(0) | レビュー | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
×

この広告は1年以上新しい記事の投稿がないブログに表示されております。