2008年08月01日

犯罪の前に刑罰が下るという怪奇

pinpinkorori氏の、ルフェーブル一派への破門に関する次の論は、もはや盲説の域を超えてオカルトの域に達している。
http://defencecatho.seesaa.net/article/103704778.html

はっきりしているのは前教皇は司教叙階を阻止するために破門としたので、それを有効とすることは前教皇の意思に反するということです。


Posted by pinpinkorori at 2008年07月28日 22:23


(2008/08/06註・
「司教叙階を阻止するために破門? 何それ。
破門したのは司教叙階の後ですよ。まあ、自動破門の場合は、司教叙階の瞬間と言えますが、いずれにせよ、犯罪行為の前ではない。」
以下は、上記の私のコメントに対するレスである)



金田さんのその性急な独断は相手にされない。(一言居士で相手を必要としない議論のようですが)
犯罪行為の前といってもよい。車で式場に行けない配慮までしていたのですから。
司教叙階を阻止するための破門でした。これは別に私個人の意見ではありませんし馬鹿みたいに当たり前の話です。


Posted by pinpinkorori at 2008年07月29日 22:23

pinpinkorori氏の住んでいる世界ではどうやら時空が曲がっているらしい。もちろん、犯罪事実なしには、それに対する刑罰は成立しない。すなわち、時間的に犯罪事実以前に、刑罰が下ることなどあるわけがない。
ルフェーブル一派に対する破門宣告は、1988年6月30日の違法の司教聖別の翌日7月1日に司教省長官名で布告されている。
http://www.cin.org/users/james/files/l-excomm.htm

ルフェーブルは、去る6月17日の公式の教会法的警告と計画を取り下げるようにと繰り返した訴えにもかかわらず、教皇の指令なく、また教皇の意志に反して、四人の司祭を司教聖別するという離教行為を実行した。その結果、ルフェーブルは...教会法1364の1及び1382に基づいた罰を受けた。
すべての裁治上の効力を斟酌した上で私は宣言する。...(ルフェーブルと4人の司教たち)は(犯罪行為の)事実そのものによって使徒座に留保された伴事的破門制裁を受けた。


DECREE OF EXCOMUNICATION

適用されている教会法は以下の通り。

カノン1364(1) 信仰の背教者、異端者及び離教者は、伴事的破門制裁を受ける。ただし、第194条第1項第2号の規定を順守しなければならない。かつまた、聖職者については、第1336条第1項第1号、第2号及び第3号所定の刑罰によって処罰することができる。


カノン1382 教皇の指令なしに、司教叙階を行う司教、かつ、その司教から司教叙階を受ける者は、使徒座に留保された伴事的破門制裁を受ける。

注意しなければならないのは、カノン1364(1)もカノン1382も「伴事的破門」いわゆる「自動破門」であるということだ。「伴事的」と邦訳されているように、これは「事に伴って」、つまり、「犯罪事実そのものによって(ipso facto)」下る刑罰である。
(詳しくは以下を参照乞。
http://defencecatho.seesaa.net/article/88364180.html
これから分かる通り、犯罪事実が存在しなければ伴事的刑罰は決して発生しない。法理上は犯罪事実の瞬間に下ると考えられるが、実際厳密にどの時点でかをここで詮索する必要はない。いずれにせよ、自動破門が犯罪事実以前に下ることは絶対にありえない。これは「馬鹿みたいに当たり前の話」だ。

pinpinkorori氏の主張があまりにオカルトチックで怖いので、少々考えて見たが、あるいは「破門警告」と「破門宣告」を混同しているのかも知れない。
「破門警告」なら、犯罪の前に行われている。なるほどこれは「司教叙階を阻止するため」だったと言える。実際、「DECREE OF EXCOMUNICATION」でも自発教令「ecclesia dei」でも、1988年6月17日に公式の教会法上の破門警告があったと記されている。
他の見方もできよう。pinpinkorori氏教会の公式見解に逆らって、「聖ピオ十世会の叙階は無効」だと主張している。また、それに関連して、教会の不可謬的教義を否定して、「破門されれば叙階は無効になる」という異端説を奉じている。
pinpinkorori氏にとってはこの思い込みが本当であるために、ぜひとも犯罪事実の前に破門が下ってないといけないようなのだ。pinpinkorori氏の頭の中にある妄想論理を推測するとこうだろう。

大前提:「破門されればルフェーブルの叙階は無効」
小前提:「教皇は司教聖別の前にルフェーブルを破門した」
結 論:「ルフェーブルによる司教聖別は無効」

たしかにこの妄想論理に従うなら、破門は司教聖別の前でなくてはならない。なぜなら、その後に破門したとしても、ルフェーブルの叙階がまだ無効になっていない時点で行われたので、司教聖別自体は有効だということになるからだ。もちろん、これは完全に狂った理屈だ。
それにしても、凡人は正しい前提から誤謬推論によって間違った結論を導き出すものだが、pinpinkorori氏の場合、前提から何からすべて間違いなのだからもの凄い。間違うことについての天才だ。もちろん、こんな「独断は相手にされない」。
pinpinkorori氏は「個人的意見ではない」という。では他に誰がこのような主張を支持しているのか、具体的にソースを挙げて欲しいものである。あるいは、それは、単なる妄想の中のお友達かも知れないが(怖い怖い)。
そもそもpinpinkorori氏の主張によれば、「第二バチカン公会議によってカトリックは懲罰を捨てた」(http://defencecatho.seesaa.net/article/103914995.html
はずなのに、なぜ教皇は懲戒罰である破門をルフェーブルに下すことができたのだろうか? 謎である。

(文責・金田一輝)



posted by kanedaitsuki at 12:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 神学・教義 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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