2007年08月24日

Dave Armstrong "Pansees on Catholic Traditionalism

オンラインで"Biblical Evidence for Catholicism"(現在"Cor ad cor loquitur"へ移行)も運営する、著名なカトリック護教家Dave Armstrongによる、伝統主義についての書。タイトル通り339の断片的考察を集めたものだが、テーマ別に幾つかのユニットに分けられているので、特に散漫というわけではない。
目次より。


T 「伝統主義」の一般的特性
U 信仰と楽観主義 vs 悲観主義
V 教会の完全性
W いわゆる「保守カトリック」 vs 「ネオカトリック」
X 教理の発展 vs 教義の進化
Y 私的判断と「カフェテリアのカトリック」
Z 原理主義者と不完全なカトリック改宗者
[ 「公会議前の」教会の「古き良き日々」
\ エキュメニズムと宗教の自由
] 進化論とカトリック
]T 第二ヴァチカンは「近代主義」の公会議か?
]U 第二ヴァチカン文書は「曖昧」か?
]V ヴァチカン後の「リベラルな」教皇たち
]W ノブス・オルド(新しい)ミサ
]X ヨハネ・パウロU世は「近代主義者」か?
]Y 離教、離教的精神、異端


Daveは教義や教会法の専門家ではないとことわっており、詳細で具体的な論評は避けている。いわゆる「伝統主義者」(通常extreme traditionalism とか integralistと称される立場)の思考の根を撃つという態度だ。従って、時に一般論的な言述ではあるが、核心に迫った洞察が見られる。

「私は常に主張してきた。こんにちよくある類のカトリック伝統主義とは、誤った思考の問題であり、おそらくまた第一には、(カトリック的意味で)超自然的信仰の喪失の問題でもあると」p12

「伝統主義者」は一見信仰深く、時に思考が足りないように思われることがある。Daveによれば逆だ。ごちゃごちゃ考えすぎて、信仰を失ってしまっているのだ。
彼の独創ではないが、伝統主義が、実はその対極にあるとされるプロテスタントと相似であるという指摘も面白い。右翼と左翼の例を考えても分かる通り、両極が一致してしまうのはありがちなことではある。

「『伝統主義者』は、教会の教導権や不可謬の教皇を超える究極の権威を持つのは良心だと主張する。これはプロテスタントよりプロテスタント的だし、初期ルター派より初期ルター派的だ。カトリックの立場(ただしい知識を有した良心というニューマンの見方)では、良心は教会の意向と指導の内で、表明され基礎づけられていなければならない。極端な状況においてのみそれに抗することができる。「伝統主義者」による不同意と不従順はこの正統な理解を踏みにじるものであり、権威に関するプロテスタントの原理(私的判断)や、さらには近代主義者の原理(恣意的選択)を採用しているのだ」p50

第二バチカン公会議の問題についても、新ミサについても、「自分たちこそが正統な解釈者である」と主張してしまう時点で、正統なカトリック的立場ではない。]U章で著者が解説している通り、第二バチカン公会議文書を解釈する権威も、究極的には教会教導権に属する。そうでないならば、聖書すら「曖昧」な、良心によってどうとでも解釈できるテキストに過ぎなくなる。それは信仰の基盤の破壊だ。
この本を読むと、伝統主義者は自らの基礎をこそ壊しつづけているのだということが分かる。Daveは教皇権を擁護したかどで、逆に伝統主義者によって「近代主義者」のレッテルを貼られたと苦笑している。教皇権の護持は狂信なのか? そうかも知れない。しかし、Daveによれば、それは神への楽観的な信頼なのである。なぜなら、カトリックの信仰によれば、教会は主が建てたものであり、世の終わりまで崩れないものだからだ。

(文責:金田一輝)




posted by kanedaitsuki at 09:03| Comment(0) | TrackBack(0) | レビュー | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
コメントを書く
お名前: [必須入力]

メールアドレス:

ホームページアドレス:

コメント: [必須入力]

認証コード: [必須入力]


※画像の中の文字を半角で入力してください。
この記事へのトラックバックURL
http://blog.seesaa.jp/tb/52531598
※ブログオーナーが承認したトラックバックのみ表示されます。

この記事へのトラックバック
×

この広告は1年以上新しい記事の投稿がないブログに表示されております。