2007年11月07日

Fergus Kerr"Twentieth-Century Catholic Theology: From Neoscholasticism to Nuptial Mysticism"

ファーガス・カー『二十世紀のカトリック神学:新スコラ主義から結婚の神秘主義へ』。裏表紙より。



この本は1900年から今日までのカトリック神学の、新鮮で簡潔な説明を提供している。フランスの労働者司祭運動の指導者であるシェヌの仕事で始め、現教皇ベネディクト16世のような現代の神学者の著作で締めくくっている。
彼自身英語圏での一流の神学者であるカーは、それぞれの人物と、彼らのカトリックの教えとの関係についての、神学上の発展を論じている。過去100年はカトリック教会における、巨大な刷新と改革の時代であり、カーは、特に第二バチカン公会議によって導入された広範囲に渡る変化について、それぞれの思想家がこの過程でいかに貢献したかを描いている。
その成果が、生き生きとして情報豊かなこの一冊であり、二十世紀において最も重要なカトリック神学者たちの、時折動乱に満ちた人生、仕事、遺産を探求している。この書は、現代のカトリシズムに興味のある学生、学者、一般読者によって広く読まれるだろう。

ファーガス・カーは、説教者修道会の一員であり、エジンバラ英国学士院の会員であり、エジンバラ大学の神学研究所の名誉会員である。また、英国ドミニコ会の会報誌『ニュー・ブラックフライアーズ』の編集者である。彼の本には、『アキナス以後:様々なトミズム』(ブラックウェル、2002年)がある。




知り合いのK神父に進められて読んだ。現代神学にうといので、大変蒙を啓かれ、見通しがよくなった思いがする。
序章と終章を除いて、主要な現代カトリック神学者を一人一章ごとに論じている。登場するのは、マリ=ドミニク・シェヌ、イブ・コンガール、エドワード・シュリベークス、アンリ・ド・リュバック、カール・ラーナー、バーナード・ロナーガン、ハンス・ウルス・フォン・バルサザール、ハンス・キュンク、カロル・ウォイティワ、ジョゼフ・ラッチンガーの十人である。一人一人まとまって取り上げているといっても、決して行き当たりばったりではなく、副題「新スコラ主義から結婚の神秘主義へ」とある通り、一つの筋が通っている。
二十世紀初頭は良くも悪くも新スコラ主義あるいはネオ・トミズム全盛の時代であった。ここに登場する現代神学者は、ほとんどが義務的に新スコラ主義の教育を受け、それに反発してきた人々だ。それはシェヌによるトマス・アクィナスの歴史文脈的再解釈から始まる。ガリグ・ラグランジュに代表されるネオ・トミストたちは、トマス哲学の永遠性を称揚するのに対し、歴史文脈的解釈は、トマスの時代性に焦点を当てる。同時代の中世の他の思想との関係性や、古代やギリシャ哲学などの歴史的水脈をたどり直すことで、新たなトマス像が出来してくる。それに応じて、理性と信仰、哲学と神学の新たな関係、とりわけアンリ・ド・リュバックに代表される、階層秩序的ではない両者の新たな総合が模索されていく。
これら「新スコラ主義の乗り越え」によって、ネオ・トミストによって排除され抑圧されてきた、忘れられてきたカトリックの豊かな精神的遺産が再発見されてきた。とりわけ、大胆にカール・バルトの思考を吸収したバルサザールなどにより、オリゲネスの「結婚の神秘主義」が練り直されている。その結果、現代カトリック神学のフロントに、神と教会、神と人との婚姻性(nuptiality)という古代的テーマが踊り出ている。婚姻性の射程は実際には非常に広く、神と世界、創造と贖罪との関係性、マリア論から、もちろん今日の男性と女性の関係性や、家族や性の問題にまで及んでいる。
この点でよく知られていないのは、ヨハネ・パウロ2世の功績だ。そのパーソナリティの強烈さに目がくらんで、彼の神学者としての仕事は軽視ないし無視されがちである。しかし、現代カトリック神学に対する彼の貢献は、いまだ正当に評価されてはいないものの、巷間考えられているよりもはるかに大きい。
彼はアクィナスを引きながら、しかしネオ・トミスムが捨ておいてきた、「身体」と「精神」の相互協同性という観念を強調した。そのことで、「身体」は精神と対立するものであるどころか、人間の「婚姻性」、すなわち自己譲与による愛を表現するものとなる。彼によれば、創世記の「神の像」という表現は、単に創造主である神の主権を継いだ人間の被造物への支配権を意味するだけではなく、神との親しい交わりの可能性、従って、隣人に対する神的愛の可能性の刻印として理解されねばならない。
パウロ6世の回勅『フマネ・ヴィタエ』による堕胎と避妊の禁止に対する彼の擁護は、ヨハネ・パウロ2世の「保守性」として非難されることがあるが、それは創世記の人間創造譚の再解釈による「身体」の婚姻性についての思考と関連づけて理解されねばならない事柄だ。逆に言えば、彼の「革新性」は単に教皇としての、エキュメニズムや諸宗教との対話に関する身振りに限定されるわけではなく、神学者としての、新たな次元の開発にも示されている。
この本で、あらためてカトリック神学の豊かさを確認することができた。現代の神学の動向を知りたい方、また、私のようにネオ・トミスムに郷愁を覚えるひとも、一度は目を通しておきたい一冊であろう。

(文責・金田一輝)




posted by kanedaitsuki at 10:27| Comment(0) | TrackBack(0) | レビュー | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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