2007年11月27日

無原罪の御宿り(1)

聖母マリアについて書かれた本の中で、一般に非常によく読まれている『聖母マリア <異端>から<女王>へ』(講談社選書メチエ)の第五章「ドグマ狂騒曲」において、著者の竹下節子は「無原罪の御宿り」の教義について以下のように記述している。

第三の教義は、一八五四年二月八日にピウス九世が宣言した「無原罪受胎」の教義で、マリアが原罪なくしてその母アンナの胎に宿ったとするものである。これは本来、「神の母」が普通の人間であってはおかしいという、初期教父たちによる神学的思弁から生まれた抽象的なものであった。
(・・・)
実は、この教義は最も無理があり、最も抽象的思弁的なものなので、古来しばしば論議の的になっていた。マリア好きだった聖ベルナルドゥスも、またトマス・アクィナスも、神学的正当性に欠けるとして退けている。はっきりと異端のカテゴリーに入れられた時代もあり、一六四四年のローマ異端審問条例は、「無原罪受胎=Immaculata Conceptio」という言葉の入ったすべての文書の没収を命じている。宗教改革をへてカトリックの脱迷信化がはかられたころだ。
このように大いに問題のある考え方だったのに、十九世紀も半ばになて、どうして突然、教義として取りあげられたのだろうか。それはヨーロッパのカトリックが、十九世紀に非宗教主義の攻撃の的になったからだ。反教会の傾向に脅威を感じるあまり、かえって反動的にマリア神格化の方向に傾いてしまったのだ。
(1)

事情を知らない読者が読んだ場合、この文章から「無原罪受胎」という教義について、どういう理解をするだろうか(予備知識のない人がマリアについて知ろうとした場合、この本を最初に手に取る可能性は非常に高い)。

●聖母の「無原罪受胎」という教義は、「抽象的・思弁的」で無理があり、古来から論議されつづけ、ベルナールやアクィナスなども神学的に否定し、1644年ローマから「異端」の扱いも受けた「大いに問題のある」考え方だったが、にもかかわらず、「非宗教主義」などの「反教会」の傾向への反動として、マリアを「神格化」するために、十九世紀にピウス九世によって、突然、宣言された。

こんな感じだろう(言うまでもなく、上記の文章は竹下節子の叙述をそのまま圧縮したものに過ぎない)。
多少ものの分かっている人なら、一読して不可解な印象を受けるはずだ。最も不思議なのは、神学者ドゥンス・スコトゥスの名がないことだろう。「無原罪の御宿り」という教義について、容易に入手できる事典なりなんなりを調べてみれば、十中八九その名が出る(2)。なぜなら、スコトゥスがこの教義の確立に大きな貢献をしているので、教義の歴史に踏み込んだ場合には絶対に欠かすことができないからだ。たんなる無知ならまだいいが、竹下は別の章(第三章「諸宗派とマリア」)では、スコトゥスの名をはっきり挙げており、「マリアが原罪なくして母アンナの胎に宿ったという神学を、初めて展開してみせた」と書いている(3)。それなのに、故意にかどうかは分からないが、なぜか教義史の叙述では、反対した神学者の名はぬかりなく採り上げていながら、擁護した側は、その名を知っているにもかかわらず、書き落としている。
また、教会文書について竹下節子は、「異端審問条例」という一つの反対例だけをクローズ・アップしているが、実は、その前後に「無原罪受胎」について肯定的な文書がたくさん出ている。その中には、教会会議、普遍公会議、教皇によるものも含まれる。これは、デンツィンガー資料集のような、カトリック教会文書を集めた本などを紐解けば、誰でもすぐに確認できる。
要するに、この竹下節子の文章は、「無原罪の御宿り」という教義について、反対意見だけを載せ、肯定的な神学者や肯定的な教会文書を無視することにより、著しくバランスの欠いたものになってしまっている。たしかに、この本は教義学の本でもなければ教義史の本でもないが、それでも、あまりに事実とかけ離れていると言わざるをえない(4)。
文章の論理もいささかおかしい。一方で、「無原罪受胎」の教義が1644年に異端とされたのは「脱迷信化」のためだとしながら、他方で、反教会の脅威への反動として、この教義が1854年突然(!!!)宣言されたのだと言う。なぜ1644年には「反動」がなかったのだろうか。なぜ1854年には「脱迷信化」がなかったのだろうか。(5)

マリアに関する教義は、竹下が述べる通り「古来から論議の的」であり、今でもたしかにそうである。「無原罪の御宿り」はその最たるものである。教義の文字通りの意味それ自体は、それほど難しくない。しかしその意義についてはしばしば混乱が見られる。そして、そうした混乱の理由の一端は、竹下節子の文章に見られるように、教義の歴史についての確かな視点を持たないことにある。スタックポール神学博士が述べる通り、「無原罪の御宿りの教義は、教会が言うところの『教義の発展』の典型例」(6)だけに、なおさらそうなのである。

(この項つづく)

(1)竹下節子『聖母マリア <異端>から<女王>へ』、講談社選書メチエ、1998年、pp.125-126
「一八五四年二月八日」は原文ママである。少なくとも私の所有する版(2004年第3刷)では訂正されていない(12月8日(無原罪の御宿りの祝日)が正しい)。
(2)例えば『岩波 キリスト教事典』(岩波書店)、『カトリック小事典』(エンデルレ書店)など。
(3)同上、p.71
(4)竹下節子のマリア教義についての理解の程度は、同書の以下のような文章から判断できよう。
第一の教義(神の母)「キリスト教は結局、聖母マリアのイメージをアルテミスに置きかえることで何とか布教に成功した。すると、エフェソス人たちは、今度はマリアを絶対崇拝し始めた」(p.119)
第二の教義(永遠処女性)「初期キリスト教世界で、マリアが実際に超常的な処女受胎と出産をしたと考えられていたのかは確かではない」(p.123)
第四の教義(被昇天)「この教義のもとになった聖書外典が成立した背景には、二世紀のグノーシス主義があるといわれている。神が人を救うために送る賢者(智恵=ギリシア語で女性名詞ソフィア=SOPHIA)は、死後に神のもとにもどって他の魂を導く役割をはたす。このソフィアが、イエスにではなくマリアに結びついたわけだ」(p.127)
第五の教義(共同贖罪者)「マリアは、魔術世界をカトリックにかろうじて結びつけている貴重なキャラクターなのだ」「この大事なキャラクターに第五の教義を付与することによって、よりいっそうキリストに似た立場に近づけてしまうことが戦略的に有効だと考えられても、決しておかしくない」(p.131)
(5)そもそも「ドグマ狂騒曲」という章題からも推測できる通り、竹下節子はマリアに関する教義を一種の「迷信」と見なしている節がある。
「一九五〇年には、マリア被昇天の教義が宣言された。教義はだんだんとキリストの教えから離れてフォークロリックなものに近づいていく」(p.135)
(6)Robert A.Stackpole,S.T.D."The Immaculate Conception in Catholic Apologetics" in Fr.Donald H.Calloway,M.I.C ed."The Immaculate Conception in the Life of the Church",Marian Press,2004,p.13

(文責・金田一輝)




posted by kanedaitsuki at 12:16| Comment(0) | TrackBack(0) | 感傷的マリア論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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