2007年12月19日

聖ピオ十世会とネブラスカの破門(後編)

http://www.ewtn.com/library/CANONLAW/BOTHWAYS.HTM


第一の嫌疑。教会教導職によって解釈された神の言葉に聖ピオ十世会が矛盾するかまたはそれをひどく歪めているということは、第二バチカン公会議の16の声明の内少なくとも3つ(「サクロサンクトゥム・コンキリウム(典礼憲章)」「ウニタティス・レディンテグラティオ(エキュメニズムに関する教令)」「ディグニタス・フマネ(宗教の自由に関する教令)」)を受け入れないと言い立てているところにうかがえる。第二の嫌疑。教皇と教皇との交わりにある司教たちの正当な権威から逸脱することで、聖ピオ十世会は教皇首位権の教義と個別の教会に対する合法的牧者としての司教たちの正当な権威に刃向かっている。
ブラスクウィッツ司教は、リンカーン司教区内で、聖ピオ十世会とその支持者たちが行うことが法規の基準に当てはまる限り、これらの嫌疑が真か否かを判断する権威を有する。
ルフェーブル大司教は第二バチカンの本来の解釈について、聖座と長期間の対話に従事してきた。最終的に、1988年5月、彼は聖伝に従って解釈されるならば第二バチカンを受け入れるという、聖座との合意文書に署名した。私から見れば、これは第二バチカンやその他の公会議の唯一可能な解釈である。不幸にも、ルフェーブル大司教はのちにその合意を撤回した。スコット神父とブラスクウィッツ司教とでやり取りされた書簡を含めて、聖ピオ十世会の最近の公式声明を吟味すれば、聖ピオ十世会が、公会議の歪曲や誤った解釈を酷評することを超えて、すべての実践的目的のために、公会議そのものを拒否したのだと、結論できる。
聖ピオ十世会が自らを、教皇ないし教区司祭への服従の義務を免除されていると考えていることは、私には論証する必要があるとは思えない。聖ピオ十世会は、その権能を持つ権威の指示によるいかなる承諾もなしに、自らが選んだところで、公的礼拝を行い、秘跡を執行している。聖ピオ十世会の保有する権利は、教皇の教導権とは異質なものであり、事実上、おのれ自身の正統性を制定している。
もし私が聖ピオ十世会が有罪か無罪かを裁決する陪審員だとすれば、これまで見てきた証拠からして、第一の嫌疑については有罪に票を投じることになるだろう。しかし、最終判決を下す前に、もう少し見ておきたい。第二の嫌疑について言えば、私は有罪だと言うが。

ローマと一致しているという、嘘の主張

聖ピオ十世会によっても公表された、スコット神父への5月13日付の手紙の中でブラスクウィッツ司教が述べているところでは、リンカーンの聖ピオ十世会の聖堂は「ローマと完全に一致している」と地方の新聞や電話帳の広告で主張している。聖ピオ十世会の「ローマ」の定義、あるいはもっと重要だが、「ローマが述べるには」の定義に賛成しているのでもないかぎり、そのような主張は詐欺であると言わざるをえない。「ローマが述べるには」という言葉を聞けば、これが聖座の公式発言を意味すると私たちは理解する。しかしながら、聖ピオ十世会が最近配ったプロモーション用のパンフレットから判断すると、聖ピオ十世会の定義では、「ローマが述べるには」は、教皇庁の現役もしくは引退した公職者の個人的な声明、ローマに在住する教会法学者の見解である。さもなければ、教皇立大学で研究する個人によって書かれた論文か、信徒からの問い合わせに対する聖座の役所の回答である。
このパンフレットは、新聞や電話帳よりも悩ましい。なぜなら、それはもっと多くの人間に配られるからだ。彼らのほとんどは、ブラスクウィッツ程警戒心のない司教のいる司教区で生活している。パンフレットの見逃せないメッセージは、聖ピオ十世会とその司祭たちは、何であれいかなる教会法的処罰を受けておらず、カトリック信徒は、小教区で執行されているミサに参与するのと同じように、聖ピオ十世会のミサに参与する自由があるとしていることだ。これは、最小に見積もっても、まったくのたわ言であり、明白に、警戒心がない者や事情を知らない者を誘惑する意図がある。

パンフレットの問題点

パンフレットの最大の問題点は、当件、すなわち、聖座の委任のないルフェーブル大司教による司教聖別が本質的に離教か否かという問題とは関係のない、前提と合致しない結論を下して、聖ピオ十世会はまったく問題ないとしていることだ。それは置いておいても、私が深刻な問題だと思うのは、聖ピオ十世会についていかなる形でも支持してもいないし、連帯もしていない三人の発言を使用していることだ。
カッポーニ伯爵は、確かにパンフレットが彼に帰している発言をした。しかし、彼は公式に述べてもいる。私はルフェーブル大司教に共感しているが、支持者ではないと。その上、聖ピオ十世会もよく知っているように、1994年、ニュージャージー、「独立」伝統主義者によるペクアノックのファチマの聖母聖堂は、パターソンの司教からの要請を受け入れており、その聖堂は聖ペテロ会によって正常な状態に復し、運営されることになるだろう。聖堂メンバーの内、聖ピオ十世会支持の分派は、その要請を望んで拒否し、聖ピオ十世会の司祭によるミサを要求した。教会法1323条4項の必要性からの行動であると彼らは弁じた。私の質問に答えて、カッポーニ伯爵は次のような見解を練り上げた。「もしロディマー司教の和解要請と聖ペテロ会による礼拝を拒否するならば、聖ピオ十世会の司祭によるミサに参与しつづける者は、教会法1323条4項に規定された緊急状態で行動していると主張することは、もはやできない」
ジェラルド・マレーは、聖ピオ十世会へ激しい抗議の手紙を書き送った。「ラテン・ミサ」誌に載ったインタビュー記事からの抜粋の内に、明らかな間違いと、文脈から切り離された引用を、彼は指摘した。パンフレットでの引用では、マレー神父は、聖ピオ十世会のミサに参与することはぜんぜん過ったことではないと言っていることになっている。事実は、その記事では別のことを明らかに述べているのに。マレー神父は、自分の資格取得論文(聖ピオ十世会が誤って主張しているような博士論文ではない))で成した主張を、その後再検討し、現在は、緊急状態について拡大解釈をしていたと考えている。
ラッチンガー枢機卿の、ホノルルの六人の信徒の破門撤回の決定は、聖ピオ十世会を正当化するためによく使われている。読者のほとんどはご存知の通り、当聖ジョゼフ協会は「ハワイの六人」の擁護の手助けをしたが、聖ピオ十世会のステイタスはこの件とは無関係であると私は言うことができる。この件の記録によれば、前ホノルル司教ジョゼフ・フェラリオ閣下は、司教の愚行等と思われたことに、公衆の注意を向けようとした六人のカトリック信徒を黙らせようとして、刑罰を使おうとしたようだ。ラッチンガー枢機卿は、明示的にも暗示的にも、聖ピオ十世会の行動を承認していない。

聖ピオ十世会と教会の国際的危機

教会がひどい内的危機を経験していることを私は知っている。聖ピオ十世会もそうであるが、そこには私たちが共通に理解している目的がある。この聖ジョゼフ協会は現在、年2000人以上もの援助の要望を受け取っており、カトリック信徒が耐えねばならないことを、誰よりもよく知っている。しかし、私たちはそうするしかできないのではあるが、大部分の信徒は「ローマ教皇への服従を拒否し、又は教皇に服属する教会の成員との交わりを拒否する」(教会法751条)ことなしに、なんとか受難を耐えることだろう。
アメリカ以外の読者にもう一度強いて述べてもかまわないならば、個人的に想起する決定的なアメリカ人の例を挙げたいと思う。第二次世界大戦中、前ヘヴィー級ボクシングチャンピオン、ジョー・ルイスは軍隊に召集された。入隊所に「ブラウン爆撃機」が着陸した時、レポーターは彼に尋ねた。黒人に対して多くの不正義がまかり通ってきた国の軍隊に従事するよう強制されることは、不公正なことだと考えないかどうかと。ルイスはしばし考えて、言った。「ヒトラーがしうるような悪いことは、この国にはない」
私は決してルフェーブル大司教とアドルフ・ヒトラーを同一視したり、聖ピオ十世会と国家社会主義党を同一視したりはしていない。しかし、このアナロジーはたしかに適切である。ひどい事が教会に起きている。しかし、聖ピオ十世会がしうるような何事も、そこにはない。



(後編おわり)

前編

(文責・金田一輝)





posted by kanedaitsuki at 11:01| Comment(0) | TrackBack(0) | 教会文書など | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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