http://blog.livedoor.jp/kasahara_7524/archives/51194374.html
この「頬白親父」という方は、一部の左翼のように反権力の蜜の甘さを知った結果、周囲の助言に耳を貸さず、司教に対する無邪気な反抗を継続し、急速に右旋回してしまっている。さらに強烈な妄想を展開するのだろうと、今後愉しみではある。
さて、普通のカトリック教徒にとっては、聖ピオ十世会など何の問題にもならない。なぜなら、前教皇ヨハネ・パウロ2世は、彼らの運動について、1988年の使徒書簡「エクレジア・デイ」で次のように言っているからだ。
現今の状況において、今までルフェーブル大司教の運動にいろいろな仕方で結びついていたすべての人々に対して、厳かに心から、父として兄弟として私が特に訴えたいことがあります。カトリック教会と一体であるキリストの代理者との一致に留まるという重大な義務を果たし、どんな形でもこの運動への支持を止めるように。みな知っておくべきです。離教を公式に支持することは、神に対する重大な攻撃であり、教会法(1382条)によって規定された破門という罰を生じさせるということを。
Ecclesia Dei 5c
「頬白親父」氏は、何しろ教皇庁典礼秘跡省指針『あがないの秘跡』を不磨の大典のごとくうやうやしく扱って、ある仕方での両形態拝領を、聖職者でもないのに口をきわめて非難している方である。ところでもちろん、教皇による教会文書は、権威の上では一聖省の文書より上位にあるはずである。それゆえ「頬白親父」氏は、「エクレジア・デイ」の勧告には四の五の言わず従うのが理の当然なのであるが、平気の平左で違法ミサに参加し、ネット上で公表している。まったく支離滅裂な行動である。
12月16日(日)、待降節第3主日のミサとして聖ピオ十世司祭兄弟会のミサ−所謂『聖伝ミサ』に与った。会場は『聖なる日本の殉教者巡回聖堂』である。
『聖堂』とはいっても、常設のものではなく、『曙町児童会館』の大広間を借りて『聖堂』としている。この会館自体も都や区のものではなく、町内会設置のもののようで、非常に古びた、小さな建物であった。
大広間では、演壇上が祭壇になり、会衆席は前8割程度が畳敷き、残りが板敷きである。そこに折り畳み椅子や座布団を置いてミサを行っている。そこで、会衆は跪いたり、起立したり、着席したりしている。
「頬白親父」氏はかつて「カトリック新教会法典」を手元に置くようにひとに勧めている。
http://blog.livedoor.jp/kasahara_7524/archives/51153724.html
そこで「新教会法典」をひもといてみると、第932条1項に
「第932条(1) ミサは聖なる場所において挙行されなければならない」
とある。「聖なる場所」とは何かというと、
「第1205条 聖なる場所とは、典礼書が規定する奉献又は祝別によって、神に対する崇敬又は信者の埋葬に当てられる場所をいう。」
「第1206条 場所を奉献することは、教区司教及び法律上教区司教と同等とみなされる者の権限に属する。その者は、すべての司教、又は例外的な場合には司祭に自己の管轄区内で奉献を執り行う任務を委託することができる。」
「第1207条 聖なる場所は、裁治権者によって祝別される。ただし、教会堂の祝別は、教区司教に留保される。両者とも、祝別権を他の司祭に委任することができる。」
とある通りである。「頬白親父」氏の説明によれば、聖ピオ十世会がミサを挙げたのは「町内会設置の会館」であり、これがいったい「聖なる場所」なのかどうか疑問に思う。いずれにせよ、教区司教の許可が下りていないことは確かである。
場所のことはさておいて、最も問題なのはミサを挙げる「司祭」である。
さて、おさらいであるが聖ピオ十世会は1970年に「pious union(信徒敬虔会)」として、6年間の試験期間付で設立されたが、1975年に管轄の司教によって解散命令が出され、この命令は後に聖座によっても追認された(ルフェーブルによる上訴は拒否された)。試験期間は更新されなかった。従って、これ以降、現在まで聖ピオ十世会は「非合法団体」である。
時期を同じくしてルフェーブルは叙階の権限を停止され、全聖職権も停止される。ルフェーブルは、その後も、配下の神学生たちを叙階しつづけているが、これらは違法の叙階である。
(Patrick Madrid and Pete Vere"More Catholic Than the Pope: An inside Look At Extreme Traditionalism"(Our Sunday Visitor)pp29-42参照。オンライン上ではPete Vere"A CANONICAL HISTORY OF THE LEFEBVRITE SCHISM"http://sspx.agenda.tripod.com/id8.html)
教会法第265条にはこうある。
「第265条 聖職者はすべて、部分教会若しくは属人区、又は奉献生活の会若しくはこの権能を有する会に入籍しなければならない。したがって、無所属の聖職者すなわち放浪の聖職者は絶対に認められない。」
聖ピオ十世会は教会に認められていない「非合法団体」であるから、違法に叙階された会の司祭たちは、教会法によって「絶対に認められない」とされた「放浪の聖職者」である。簡単に言えば、聖ピオ十世会の司祭は適法な「ローマ・カトリックの司祭」ではない。(ただし、カトリック教会内に籍を有していて、かつ聖ピオ十世会に協力している司祭はいるかも知れない)
そういうわけで、「エクレジア・デイ」教皇立委員会前長官ペルルは1995年9月29日の書簡の中で、「聖ピオ十世会のミサのステイタス」について、次のように述べたのである。
http://www.ewtn.com/library/CURIA/CEDSSPX.HTM
(http://defencecatho.seesaa.net/article/71413807.html参照)
信徒が聖ピオ十世会のミサに参加することは、もし彼らが適切な立場にあるカトリックの司祭によって執行されたミサへの参与を物理的もしくは精神的に妨げられているというのではなければ、道徳的に非合法なことだと見なされます。(A)
聖ピオ十世会によって行われるミサ、秘跡その他の儀式への参与を、貴殿に勧めることはできません。(B)
まとめると、違法の団体である聖ピオ十世会の、違法に叙階された司祭による、違法の場所での、違法のミサに参与するのは、少なくとも道徳的には違法である(ここで「道徳的には」というのは、教会法的罰則を受けるとは限らないが罪である、という意味に解すべきである)。
ところで、上述の教会法第932条1項にはこうもある。
「第932条(1)・・・ただし、特別な場合、他の場所が必要とされるときはこの限りではない。その場合には、ふさわしい場所で挙行されなければならない。」
旧典礼を挙げることが緊急状態のような「特別な場合」になりうるだろうか? なりえない。なぜなら、ローマ・カトリック教会に属する適法な「聖なる場所」においても、旧典礼は行われているからだ。わざわざ違法な場所で違法の司祭によって挙げられる必要性がまったくない。くわえてペルル前長官は前述の書簡で、「いわゆる「トリエント」ミサの執行に参列できないという事実は、そのような(聖ピオ十世会の違法な)ミサに参列することの十分な動機とは見なされません(A)」と駄目押ししている。また、「町内会設置の会館」が「ふさわしい場所」の要件を満たすとも思えない。
見てきた通り、「頬白親父」氏の大好物である教会文書(教皇のもの、聖座のもの、教会法のもの)から判断するに、聖ピオ十世会の違法ミサに参与することは正当化されない。ローマ・カトリック信徒は聖ピオ十世会のミサには行くべきではない。
(文責・金田一輝)



私も頬白さんのブログで、ピオ会との関わりをやめるようにコメント申し上げたんですが、ついに行くところまでいってしまったのですか。
本当に支離滅裂な行動ですね。
>今年の春か夏頃だったでしょうか。
>私も頬白さんのブログで、ピオ会との関わりをやめるようにコメント申し上げたんですが、ついに行くところまでいってしまったのですか。
>本当に支離滅裂な行動ですね。
御自分でいろいろ調べた上で、かつ主任司祭にも尋ねた上で、そういう覚悟の上で参加したというのであれば、まあ、いい大人なのだから「自己責任」ということになりそうです。
しかし、「ちょっと試しに」という程度なら、まだ手遅れではないと思います。
とりえあえずは、見守るしかないですね。周囲の助言など耳に入らないでしょうし、どこの馬の骨か分からぬ私の言うことならなおさらです(笑
ただ、昨今の教区教会のていたらくにうんざりしてる人は多いとは思うので、親父さんの気持ちは判らないでもないです。アホな政治色の強い説教とかされた日には、行く気うせるだろうし。フォークなミサなんかやられた日には、二度とそこに足を運びたくなくなる。
でも、だからといって極端な方向に行くというのは、あれだ、違法な行為すら辞さない暴力革命なセクトに参加するみたいなもんですな。
時間かけても穏健な方向で内部改革をしようよって思うんですけどね。典礼の乱れを嘆く今の教皇を信じましょうよと言いたいです。
>でも、だからといって極端な方向に行くというのは、あれだ、違法な行為すら辞さない暴力革命なセクトに参加するみたいなもんですな。
そうですね。私は以前から、「緊急状態だから法を破っても構わない」とするピオシンパの言い草を、「目的によって手段を正当化する」テロリストの論理だと言ってます。
トホホな司祭がいるのは事実でしょうが、だからこっちも悪い事をやってもいいのだ、というのはあまりに幼稚な論理であり行動です。
そもそも記事に書いた通り、ヨゼフ・ジェンマ氏や頬白親父氏は、一方で教会文書を金科玉条として他人の行動を非難してるのですよ。それなのになぜ、最も権威ある教皇の文書は無視するのか。あからさまなダブスタです。
>時間かけても穏健な方向で内部改革をしようよって思うんですけどね。典礼の乱れを嘆く今の教皇を信じましょうよと言いたいです。
教会に混乱があるのは事実ですが、何もそれを無策に放置しているわけではないんですよね。
教会内部の改革はひとの手の入ることだし、複雑な組織ですから、時間がかかるのは当然です。何が起きようと、「永遠の教会」を信じて、静穏に「最後まで耐えしのぶ」しかないのだと私は思います。
トラバをかけてくれたら助かるのですが、今のところないようなので、アドレスを挙げておきます。
http://blog.livedoor.jp/kasahara_7524/archives/51196639.html
「頬白親父」氏自身の記事は非常に穏健なものなので、特にコメントはないです。
が、なにか「現行のミサにむかつくからピオ会」では流石に絵にかいたような単純な反抗で、笑われても仕方ないのかも・・・。トホホ。信仰告白のあのニケアの文書の重さってのを理解しないとマズーなのでは。それゆえに、「何が起きようと、「永遠の教会」を信じて、静穏に「最後まで耐えしのぶ」しかないのだと私は思います。」に同意。
わたくしもジェンマさんや、頬白親父さんの腹立ちってのはすごく判るだけに、性急にして事を仕損じる方向に行かんで欲しいと思ったりするのです。
>あいや。頬白さんから一輝師匠の口の悪い修辞に対しての反応があったようですね。まぁ、当然ですね。師匠の文体は自分に向けられたら激しくむかつく文体ではありますから、そこんとこ、親父さんが気の毒です。
少なくとも「頬白親父」さんは冷静な対応をされたと思います。
ただ、コメント削除は気になりますが。私は読んでますが、削除するほどのものとは思えませんでした。
何より、彼らのとりあげているところが、記事の「煽り」の部分だけなのが残念です。
「真意」がどこにあるかも何も、単に「頬白親父」氏を罵倒するのが目的ではないことは猿でも分かることです。
記事全体を読めば、焦点はタイトルのある通り、カトリック信徒は「聖ピオ十世会のミサには行くべきではない」ということであって、それを教会文書によって論証しているわけです。できれば、同じレベルでの反論を期待してます。
「頬白親父」さんには無理でしょうけど。
あなたは、カトリックですか?
あなたのコメントが金田氏を支え、金田氏の記事が、「頬白親父」氏の心を傷つけていることに、気づかれませんか?
金田さんの正しい批判のせいにしてはいけません。
教会のあり方を心配するなら、聖フランシスコのように教皇と一致して内部から改革をめざすべきであって、リヨンの貧者やルターのように教皇に対立して外に出るべきじゃないですね。
金田氏の修辞、文体に関しては私は賛同しませんので「頬白親父さんが気の毒」と書きました。
尚、金田氏を「支えている」などというような同胞愛のごとき意識はまったくないですね。金田氏も「支えられている」などととらえていないでしょう。そんなヤワなヤツだったら、「口の悪い修辞」などという批判を書くのもためらいますが、そもそもコメント書くのをためらいます。
金田氏の主張が当を得たものである場合、賛同し、当を得ないものには批判するつもりですが今のところの文脈では批判要素は見当たらないですね。まぁ罵倒に近いような修辞は駄目だろうと思うぐらいか。
金田氏についても批判すべき時はしますよ。しかし同意もする自由はあるはずです。それをするなというならそれはただの言論封じですな。
>あなたのコメントが金田氏を支え、金田氏の記事が、「頬白親父」氏の心を傷つけていることに、気づかれませんか?
もしほんとうに「心を傷つけている」のであれば、「頬白親父」氏が直接私に抗議すればいいのではありませんか?
「頬白親父」氏は、少なくとも公式には冷静に対応されていると思いますけど?
取り巻きがわいわい騒げば騒ぐほど、本質的な問題が隠蔽されてしまいます。カトリック信徒が「違法ミサ」に通うことは正しいんですか、正しくないんですか? それは何故ですか? それにお答えいただきたいです。
>教会のあり方を心配するなら、聖フランシスコのように教皇と一致して内部から改革をめざすべきであって、リヨンの貧者やルターのように教皇に対立して外に出るべきじゃないですね。
その通りだと思います。でも、それがなかなか難しいのでしょうね。人間、エゴがありますから。
一度「反権力」の甘い蜜を知ってしまったら、堕落した正義になってしまいます。
ルフェーブルの言っていることは、部分部分をとったら正しいところがあります。だから、カトリック内の穏健保守派が共感してしまうのでしょう。
しかし、いかに理念に正しいところがあったとしても、その行動を是認することはできません。カトリック内の穏健保守派の方々には、そういう観点から出発して、この問題をとらえてほしいなと思います。
http://blog.livedoor.jp/kasahara_7524/archives/51117140.html#comments
「JG」さん=「ヨゼフ・ジェンマ」さんは、つくづく文章読解能力がないですな。
>ちょうど別所沼さんが12でおっしゃっておられますように「第二バチカン公会議を否定するルフェーブル派の立場を知った信者がFSSPXの礼拝に出席し続けるなら、その信者本人も第二バチカン公会議を否定しているのだから離教であり得る」というのが、確かに「現実的」な見方・言い方なわけです。彼らが(私も含めて)それに出席し「続ける」状態であるなら、彼らがルフェーブル大司教様の行動を支持している公算が強いわけです。それが現実的なものの見方というものでしょう。
>しかしそこを聖座の高官達は何故かぼかしたような「もの言い」をします。私はそこを捉えて「不自然だ」「無理がある」と感じているのです。(論理的「矛盾」ではなくて。)
>何故、聖座高官達は、もっと強く、はっきり、SSPXのミサに与り続けている平信徒のことを牽制しないのでしょうか? ------愛徳のためですか?
ぷぷぷ。「エクレジア・デイ」で、ルフェーブル運動への「いかなる支持もしないように」と前教皇が言ってますがな。それでおしまい。ぜんぜんぼかしちゃいない。
個別の問題はそれはそれ、罰を受けることもあれば受けないこともある、それだけの話です。
というか、ヨゼフ・ジェンマさんは、はっきり(ネブラスカのように)日本司教団から「破門警告」が出たら、それに従うでしょうかね? 教皇の命令にも従っていないのだから、おそらくおのれの「信仰のため」と称して不従順をつらぬくのがオチでしょう。
アホアホなコメントどうもありがとうございます!!
再びアホまる出しのほんとにほんとにコメントありがとうございます!!!!!