2008年01月09日

聖ピオ十世会の叙階は有効である



聖ピオ十世会の叙階は「違法だが有効」という事に関して、一部で混乱や誤解が見られるようなので、ここで整理しておこう。
「違法だが有効」な叙階について理解するためには、前提となる二つの事柄を知っておく必要がある。
T.叙階の秘跡の永遠性
U.合法性(licitness)と有効性(validity)の差異
以下、順次、説明しよう。


T.叙階の秘跡の永遠性

叙階の秘跡はいったん受ければ取り消しえない。つまり、誰も一度有効に成された叙階を無効にすることはできない。これはカトリック教会において、教義として教えられている。"Catechism of the Catholic Church"(以下CCC)を見てみよう。

CCC 1582 洗礼と堅信と同様に、このキリストの職能の分与は一度かぎりで完全に伝えられる。他の二つと同じように、叙階の秘跡は取り消しえない霊印を与え、繰り返すことはできないし、一時的に授けることもできない。

教会法はより簡明である。

第290条 聖なる叙階は、一度有効に授けられたならば決して無効にはならない。

叙階の秘跡の主体は究極的には神であり、叙階の秘跡そのものは、いわば客観的事実である。
それゆえ教会は、叙階の有効性についての事実判断はできるが、有効な叙階を無効にすることはできない。教会ができるのは、ただ、その権限の行使を教会法的に禁止することだけである。

CCC 1583 有効に叙階された者は、正当な理由によって、叙階に結びついた義務と職務が解かれたり、それらの行使を禁止されうる。それは正しい。しかし、彼は厳密な意味において俗信徒になることはできない。叙階の日に受けた召命と宣教の使命は、彼に永遠に印づけられている。


第1338条 (2)叙階による権限を剥奪することはできない。ただし、その権限の全面的行使、又はその権限の部分的行使のみを禁止することができる。

聖ピオ十世会の司祭たちは、教会によって聖職権停止(suspension a divinis)を受けている。従って、現在彼らが司祭の職務を行うことは違法である。しかし、彼らの叙階の秘跡そのものを教会は無効にできないから、聖職権停止を受けた後も、彼らの叙階は有効のままである。これは叙階の教義そのものから論証できる。


U.合法性(licitness)と有効性(validity)の差異

合法性と有効性の違いは、特に教義として教えられることはないが、教会法の言語に慣れ親しんでいれば、ほぼ常識に属する
ここではPete Vere/Michael Trueman"Surprised by Canon Law"(SERVANT Books)を見てみよう。Vereは元聖ピオ十世会員で現在教会法学者の著述家。ちなみにこの本は教会検閲済(Nihil Obstat&Imprimatur付)である。

問7 教会法における有効(valid)と合法(licit)という語の違いとは何か?


有効性はその行為の実質にかかわり、合法という語は法に適っているかどうかにかかわる。例えば、溯ること1988年に、ルフェーブル大司教は、前もって教皇ヨハネ・パウロ2世からの委任状を得ることなく、四人の司祭を聖別した。この行為は有効(valid)である。なぜなら、ルフェーブル大司教は有効に司教に叙階されており、したがって、他の司教を聖別する権能を有するからである。しかし、大司教は教皇許可なしの司教聖別に対する教会法による禁止命令を守らなかっただけでなく、実際、そうしないようにという聖座の直接の命令の後に、司教聖別を実行した。この違法行為の結果として、教会はルフェーブル大司教と違法に聖別された四人の司教を破門した。
それにもかかわらず、聖ピオ十世会のためにルフェーブル大司教が聖別した司教たちは本物の司教(real bishops)である。カトリックの司教がすべてそうであるのとまったく同じように、彼らは秘跡を執行する力を有する。ルフェーブル大司教の離教運動を離れてカトリック教会に戻ってきた諸個人を、教会は再堅信しない。また、聖座に歩み寄り、カトリック教会との和解を求める聖ピオ十世会の司祭職(Priesthood)を、教会は承認している


"Surprised by Canon Law",SERVANT Books,2004,pp7-8

非常に明瞭な解説であり、誤読の余地がない。要するに、合法性と有効性は別の概念であり、叙階に関して言えば、違法性は有効性にまったく影響しない。それゆえ、ルフェーブルによる違法の司教叙階も、秘跡としては有効である。なぜなら、ルフェーブルは有効に叙階された司教であり、定まった形相と質料によって叙階を行ったからである。
デンツィンガー・シェーンメッツァー資料集から例を引こう。

離教した司教アカキウスが洗礼を授けた者、また彼が規定に従って司祭、聖職者に叙階した者はアカキウスの離教によって影響を受けない。秘跡の恩恵は悪人によって授けられても弱められないことは明らかだからである。(略)
したがって、悪人は善を取扱うことによって自分自身だけを傷つける。悪人によって授けられた秘跡は神聖さを汚されることなく、それを受けた者にその力を与える。


Exordium pontificatusu mei(DS 356)

したがって、ルフェーブル大司教が聖職権停止を受けた1975年から破門される1988年までの司祭の叙階のみならず、それ以降の、破門された聖ピオ十世会の司教たちによる司祭の叙階も、やはり有効である。「離教」(状態)は叙階の有効性に影響しないからである。
破門された司教をVereが「本物の司教」(real bishops)と呼ぶことに抵抗を覚えるローマ・カトリック信徒は少なくないであろうが、秘跡の観点から見れば完全に正しい記述である。
だいいち、教会のさる高官も同様の発言をしている。それは誰あろう教皇ベネディクト16世であり、教理省長官時代に次のように語っている。

教会法によれば、違法ではあるが有効な叙階があります。私たちはこれらの若い人々の人間的側面をも考慮しなくてはなりません。彼ら(聖ピオ十世会の司祭たち)は、教会の目から見れば、「真の」司祭('true'priests)です。正常ではない状況下にいますが。


"The Ratzinger Report",Ignatius,1985,pp32-33

この発言は、1988年の違法の司教叙階前であるが、すでに聖職権停止を受けているルフェーブル大司教によって違法に叙階された司祭たちについてである。合法性と有効性の差異から、Vereが聖ピオ十世会の司教たちを「本物の司教」と述べたのと同じ理屈で、ラッチンガーが聖ピオ十世会の司祭たちを「真の司祭」と言っていることは明白である。もちろんここでラッチンガーは、単に教会法的観点からだけではなくて、司牧的観点からもこのように語っている。


結論

見てきた通り、ローマ・カトリックの立場から見て、「聖ピオ十世会の叙階は有効である」ことは疑いない。しかし、だからどうだというのか? 有効であることは事実でも、聖ピオ十世会の司祭たちは聖職権停止を受けており、彼らのミサは違法である。それゆえ、「カトリック信徒は聖ピオ十世会のミサには行くべきではない」ということも、あいかわらず真である。
聖ピオ十世会の叙階が有効であるという事実は、たしかに彼らの宣伝の道具になってはいるが、正確に理解していれば、特に彼らに有利に働くわけではない。むしろ、この事実を否認し、不正確な知識に基づいて聖ピオ十世会を批判することの方が、論者にとって不利になるだろう。根拠のない偏見からは、ただしい批判は生まれないからである。

(文責・金田一輝)



posted by kanedaitsuki at 10:59| Comment(44) | TrackBack(0) | 神学・教義 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
kanedaさん。
CCC 1582と第290条だけぢゃ決定打にならないのですよ。その後のラッツィンガー発言も結論です。「ご尤も」だけど「それからどーする、ラッツィよ?」がカトリックが求めていることではないですか?(「司牧的観点」は「私たちはこれらの若い人々の人間的側面をも考慮」をkanedaさんが指したということでよろしいですか?)
貴殿が挙げた簡潔な文章から語を引くなら「キリストの職能」なら改宗前の宗派における「キリスト」は何?「職能」は何?「聖なる叙階」の内容は何?に加え、当事者の「こころ」が問題で、それが一番大切なんですよ。(もちろんピオX世会からの改宗希望者に限らず。ピオに再秘跡の必要がないのは誰もが認めることではないですか?結論での断定だけでなく孫引きや逆引きによる推察推考も必要では?)
時代違えどアウグスチノ会にいたルーテルだって秘跡の有効性については似たようなものではありませんか。破門された後のルーテルが司式する礼拝に、ルーテル個人の人柄を慕って出席したカトリック信者が聖変化など「難しいこと」を「わからぬまま」あずかっているようなもんですし、それに「違法だから行くな」も16世紀のカトリック教会が主張するのは同じでは?現代のルーテル派では洗礼、聖餐が秘跡で、堅振礼は秘跡でない。だったら洗礼は有効でも堅信は改宗後準備ですよね。

この件、もうよろしいのではないですか。
私を代表する「文章を読めない」愚者に懇切丁寧に繰り返し単独エントリーを立ててくださいましたご労力には感謝いたしますし、kanedaさんにとって無駄な時間を費やすことになってしまいましたこと申し訳なく思います。
一凡人の希望を申し上げれば、そろそろ典礼暦や列聖列福者問題、第二ヴァチカン精神などからカトリック教会とピオとの和解の問題点などを知りたいです。欧米一般紙に一斉掲載された「教義上の問題」です。楽しみにしています。

ちなみに現在、カトリック教会内にいらっしゃるルフェーヴル師の按手によって任命された高位聖職者は以下の5人です。

Ordained Priest:
 Hyacinthe Cardinal Thiandoum †

Principal Consecrator of:
 Bishop Georges-Henri Guibert, C.S.Sp. †
 Bishop Prosper Dodds, C.S.Sp. †
 Bishop François Ndong †

Principal Co-Consecrator of:
 Bishop Emile-Elie Verhille, C.S.Sp. †
 Archbishop Gordon Anthony Pantin, C.S.Sp. †

彼らの記録にルフェーヴルの名は残ってます。
Posted by まるちゐぬ at 2008年01月09日 19:36
残念ながら、秘蹟の有効性と、違法の問題は「こころ」の問題ではなく、金田氏が証明した通りになります。神の範囲と、教会法(教会という人間社会の定めたこと)は分けて考えるべしということです。

まぁ「違法」に関しては心の問題が関わってくるとは思いますが、「秘蹟」とは教皇ですら解消できないほどの生涯のカラクテルですね。故にたとえば他の教派に改宗してもカラクテル的にローマ・カトリックであるということはありうるのです。

まるちゐぬさんが書かれた「こころ」の範囲は金田氏は触れていません。そこからは「信仰生活」になりますがそこは個人の領域でもあり、金田氏は一貫して、そのプライベート領域には踏み込まず、あくまでも教会におけるパブリックに扱える分野のみの証明にとどめているでしょう。

神学を深めていくならばいずれ個としてはそこにぶつかる可能性もありますが、少なくともここで論じられているのは教会におけるパブリックな領域であり、第三者でも神学書や公文書などから証明可能な範囲です。
Posted by あんとに庵 at 2008年01月09日 21:08
あんとに庵さん
私の文章が下手なのですいませんけど、私も「こころ」の問題を秘跡有効性にまでかけたつもりはありませんでした。まどろっこしい文章というご指摘もいただいておりますのであわせて私の至らなさについてはご寛恕のほど。

Posted by まるちゐぬ at 2008年01月09日 22:33
だとしたら何が問題なのかよく判らんです。金田さんの主張はここも含め、はじめから一貫しているし疑問の余地なしなんで、問いかけそのものがなんなのかさっぱりわたくしもわからんのです。

「当事者の「こころ」が問題で、それが一番大切なんですよ。」ってのが、まず何がいいたいのか判らんです。(すんません理解が足りなくて)

んで、半端な理解で考えるに、おそらくそれはプライベートな領域でしょう。
金田さんは公的な分野での整合性だけ証明してきたわけで、しかし上記の指摘はカトリック教会に所属する信仰者の個々が公的な事柄から判断し、決定する事で、金田氏が負う事じゃない。
Posted by あんとに庵 at 2008年01月10日 01:48
あんとに庵さん
だったらそれでよろしいのでは?

 >だとしたら何が問題なのかよく判らんです。

討論になったのは昨年9月22日のエントリーです。信者の中には「違法だから行くな」より、論客の「異端を感じる」という一言の方が良心に響いて行動を考えることがあること、人は人が作った法以上に良心に服しているという教えがあることを一信者がコメント欄に書いてはいけないならそれは私が余計なことを書いただけです。ここのブログ主がそれくらい知っていて当然ということを私が無知だっただけです(ブログ主のためにだけ書いたわけではないですけれどね)。お赦しください。

あんとに庵さんが数度ブログ主におっしゃっている

 >神学を深めていくならばいずれ個としてはそこにぶつかる可能性

既にぶつかったと判断されている方もいるかもしれません。

「公的な分野での整合性だけ証明」をここで披露する目的だけなら、世界中のピオ信者がピオの礼拝に通い続けるのは変わらないです。それは「カトリックが言う違法を違法と聖ピオ十世会という団体と所属信徒が認めていない。」という理由で、彼らがピオに通うのを止めないのではありません。

整合性の証明だけが目的ならヨソのブログ主がピオ礼拝に行ったことを法を用いて裁くようなことを一切なさらなければよろしいのに。ブログ主旨に何等関係ないことではないですか。それとも判例としての紹介が目的でしょうか?読者が振り回されます。「書く自由」はあることは重々承知しています。

kanedaさんのブログ・コンセプトがあんとに庵さんの補足があってここでわかれば、今後、kanedaさんの意見に納得なさらない方々もkanedaさんを不要な言葉で挙げ足を取ることもなくなると期待します。
Posted by まるちゐぬ at 2008年01月10日 16:20
きちんと定義するならSSPXは異端ではなく離教。

「個としてはそこにぶつかる可能性」はまわりが判断することではなく、本人に任せるべきこと。
すべてのものには時がある。

日本の状況は世界と若干異なる。
違法と言われることを知りながらSSPXミサに通う信者を回心させることはむずかしいが、勧誘されている者、よくわからず通い始めた者に正しい知識を提供することは、歯止めをかける意味で一番効果的。

頬白氏は違法性についてまだ十分認識しておられないので、初期の段階で警告を発しておいたほうがいい。

Posted by angelic feline at 2008年01月10日 18:51
別エントリーのコメント欄で申し上げましたとおり、ブログ主殿がご理解くださらない方々から方々で指摘されている諸不足を補う方々(そのコメント内に挙げられたお名前ご本人)がこうして現れましたことでよろしいのでは?
Posted by まるちゐぬ at 2008年01月10日 19:05
ええっと… I beg your pardon?
Posted by angelic feline at 2008年01月10日 19:14
最初の「方々」は「かたがた」と読み、
次の「方々」は「ほうぼう」と読みます。
三番目の「方々」は「かたがた」です。

読解力の問題ですね、はい。
Posted by まるちゐぬ at 2008年01月10日 20:06
方々は全部読めたんですが…

>ブログ主殿がご理解くださらない方々から

「理解しない」のはブログ主にかかるのですか? それともブログ主「を」理解しない人々ですか?

また念のため、ブログ主とは金田さんでいいですか?

>指摘されている諸不足を補う方々

無理解な人々の指摘は、金田さんの不足を指摘するものなのですか?

>(そのコメント内に挙げられたお名前ご本人)

コメントで名前を挙げたのはまるちゐぬさんという理解でいいですか?
つまりまるちゐぬさんが名前を挙げた人という意味ですか?

>現れましたことでよろしいのでは?

「現れたことで・・・」と置き換えて読んでも大丈夫ですか?
それとも別の意味になりますか?

まるちゐぬさんの文体を読解できなくて申し訳ありません。

Posted by angelic feline at 2008年01月10日 20:37
以下に紹介しますブログは仏語で書かれておりますし、対訳ツールも表示されていません。ブログ主さんに既にご注意を頂戴しているにも関わらずご紹介することお許し下さい。私には以前から愛読しているブログがあり、それはピオに追放されたフィリプ・ラゲリ師(ボルドーのBon Pasteur神学校長上)のブログです。

ttp://blog.institutdubonpasteur.org/

このブログは読者(宗旨は問いません)がFSSPXやBP、トラディショナリストなどについて質問や信仰上の相談のメールを送ると、それを転載し、ラゲリ院長が回答する形が基本になっています。とてもわかりやすく、祈りをもって書いてらっしゃることがわかる文面です。アーカイヴには英語と共通する単語も多々ありますので、興味ある単語から中を覗かれ、対訳ツールを使って読まれるのもいいかもしれません。中には仏語を母国語としない国からの投稿も複数ありますので、日本からでも英文で質問メールを送れば回答してくださるかもしれません。アーカイヴの中にはFSSPXの破門の問題も何度も登場しています。ご参考までに。

ついでに、先日、別エントリーでブログ主さんより私宛に以下のようなコメントをいただきました。

>あと本題と関係ないんですが、仏語のソースにリンクしていただくこと自体はありがたいんですが、私は読めません(辞書を引き引きしないと無理)し、ここの読者の多くもそうでしょう。
内容をかいつまんで説明していただけるとありがたいんですが。

Posted by kanedaitsuki at 2008年01月04日 10:29

このコメントの後、ブログ主さんはナンテール教区HPの一文を挙げてご考察を述べてくださいました。ナンテール教区のHPは丁寧に見ますと、TRANSLATE と明記、かつ、英、米、独、西四カ国の国旗を出して、翻訳システムツールを読者に提供しています。HP内からTranslateという単語と各国旗をどなたも気付かれなかったことは残念ですし、ブログ主さんにおかれましては気付かれないまま辞書を使われてのご労力と時間の無駄の作業を私から提供してしまいましたこと、この場を借りてお詫びいたします。
Posted by まるちゐぬ at 2008年01月11日 01:47
まるちゐぬさん、

>この件、もうよろしいのではないですか。
>私を代表する「文章を読めない」愚者に懇切丁寧に繰り返し単独エントリーを立ててくださいましたご労力には感謝いたしますし、kanedaさんにとって無駄な時間を費やすことになってしまいましたこと申し訳なく思います。

だから、私は最初から聖ピオ十世会の叙階は「違法だが有効、それで話はおしまい」と申し上げました。

それなのにまるちゐぬさんが

「一面からは無効、別の一面から有効」

などという珍説を持ち出されて、さんざん誤謬に固執したのですよ。

で、結局、この珍説は間違いと認め、この場で訂正なさるんでしょうか。
それともこの珍説をサポートする、まともな典拠を挙げていただけるんでしょうか。
まあ、もうひとつ、ご自身の誤謬の指摘は一切無視してだんまりを決め込む、という手もありますが。あまり、みっともいいことではないでしょうね。
Posted by kanedaitsuki at 2008年01月11日 08:11
未信者がカトリックについて語ることの是非については、angelic felineさんとあんとに庵さんが、私の言いたいことをほとんど言ってくれました。あらためて感謝申し上げます。

信者にしか分かりえないブラックボックスの部分があることは、よく分かってますよ。だから、私は自分のしていることの限界を理解しているつもりです。不足があれば補っていただきたい。
しかし、聖ピオ十世会批判に関して、いままでほかの誰もやっていなかったことをやっているという自負と誇りはあります。それをカトリックの方に感謝してもらいたいとは思ってはいません。
しかし、一部のカトリック信者の方による、言われなき差別、根拠のない言いがかりに対しては、悲しく思います。

「文句があるならお前らがやれ!」とこっそり思ってます(笑
Posted by kanedaitsuki at 2008年01月11日 08:17
まるちゐぬさん、

>整合性の証明だけが目的ならヨソのブログ主がピオ礼拝に行ったことを法を用いて裁くようなことを一切なさらなければよろしいのに。ブログ主旨に何等関係ないことではないですか。

貴殿は本当に私の記事をちゃんと読んでいるのですか?
私は「頬白親父」氏の行為を「法を用いて裁」いてなどいません。

私は別のコメント欄で以下のような発言をしていますが、これもお読みになっていらっしゃらないようですね。
http://defencecatho.seesaa.net/article/74734998.html

(引用開始)
該当記事で指摘したのは以下の二つです。
http://defencecatho.seesaa.net/article/73599415.html

@HN「頬白親父」さんが違法ミサに参加したという事実の適示
A「カトリック信徒は聖ピオ十世会のミサには行くべきではない」という正である一般命題

@とAから、「頬白親父」さんの行為が道徳的に罪であることを推論はできますが、私は該当記事においてそう断言してはいません。
たとえ断言したとしても、それは事実についての推論であって、「糾弾」には該当しません。
また、そもそも私は一般論と個別の問題を区別すべきであると理解しています。
http://defencecatho.seesaa.net/article/73891949.html
「個々のケースで、罪になったりならなかったりすることがありうる」
と書いた通りです。
(引用終わり)

私に反論するならば、該当記事や発言くらいは読んでください。
Posted by kanedaitsuki at 2008年01月11日 08:37
kanedaさん、

>「文句があるならお前らがやれ!」とこっそり思ってます(笑

方法が違うだけで、既に行っているだけで、それが貴殿の心に響かないだけの話です。
先に挙げたラゲリ師もこうして無知な羊からの質問に既に公開で返答始めていることは、その一端です。文章の中には時にCanonも引用されています。
カトリック信仰の根幹のひとつである、

「良心の声があるという事実は、人間が人間以上の法に服している」

これに着目しない限り、ピオ問題について真を見つけるのは難しいです。
教会法も人の手によるものです。教会法はカトリック教会全体の一部であって全体を包括していません。
貴方はそれを無視する、それを見ない、知らないでいられる立場ということは重々十二分に承知しております。教会をレスペクトしていることは信仰に当たらないことは貴方はご存知です。


>「一面からは無効、別の一面から有効」

これは今も変わりません。聖職者方かた伺ったことを覆す気にはなれません。
ロヨラが残した言葉に「自分にとって黒に見えても、カトリック教会が白であると宣言するなら それを信じよう。」というものがあります。

再受洗、再叙階の必要がないのはピオに限ったことではありません。他宗派からの改宗でも同じ審査に過ぎない。世俗平信者の私がそれについて反証をここで挙げるつもりはまったくありません。「ゆるしの秘跡」に他人さまから誘われるているような胸騒ぎがいたしますので、どうかお許しください。赦しはいりませんけど。

どこにも書いていないことですが、カトリックにおいて「世俗がわからないことを司祭に聞いて、その司祭がわからなければ長上に聞き、その長上がわからなければ、更に長上に、誰もわからないことは必ず教皇のお耳に届く」と習ってきた私です。文字を読める人が本をひとりで読み、ひとりで解釈し、そのひとりの頭と心が出した感想は必ずしもカトリック教会が思し召すことではありません。
このブログのタイトルや内容で多くのカトリック、ピオの信者さんが集まるでしょうけれど、単に「趣味」で、教皇さまにつながらないし、バチカンまでの「こころの道」を阻む「堰」になるならば、読者各自の判断でその堰を崩す、避ける、堰を越えずに戻る等を選択できるということでよろしいのではないですか?堰がその信仰の勢いで将来、開門する可能性もあるかもしれません。Only God knows

御説は全て読んでいます。
Posted by まるちゐぬ at 2008年01月11日 16:11
うへぇ。来れなかった間にカキコが大量だ。

まるちゐぬ様>
すまんでふ。文書が混迷していて読解できないです。主張が判らないです。

「秘蹟論」に関しては明白です。文書化されている事柄であり、第三者も正しく公表された資料(神学者や公文書)を読むならば正しく理解し、論じることが可能な範囲です。(寧ろ個々の司祭のほうが下手すると正しく理解していないのがタマにいる始末。)

カトリックのすごいところはそれら秘蹟の論理を体系化、つまり「神学大全」というものに代表されるように、網羅し文書化しているあたりですね。それは非常に構築感がある美しい論理の世界です。ゆえに「カトリック」たるゆえんともなっていると思います。ま、こいつぁあ、余談ですが。

私が言っている個の問題は、金田氏にしか判らぬ領域であり金田氏はここではそれを敢えて語らないという姿勢を貫いています。そして「いずれぶつかるだろう」とは予告は出来ますが、それがどういうものなのかは第三者には判らないし、そもそも他者へ報告義務もない領域です。

司祭に仰ぐべき問題はこのブログでは切り離されています。司祭に仰ぐべき問題まで金田さんは踏み込んではいません。そこは金田さんも踏み込めない領域ですし、それは個々の信者が行うべきことでしょう。それは神から与えられた自由意志の行使の問題となります。

秘蹟論として論理的に・・・
「カトリックではこのように言われている。そしてわたしはこれを行う」
・・・・という事実が存在するとして、「このように言われている」ことについては誰もが文書なりを読めば知ることが出来ます・「これを行う」ことが「このように言われている」ことに反するか?否か?も明白です。大抵は文書化されています。

しかし「これを行う」という行為において、我々は信仰生活上の躓きや悩みを抱えることが多々ありますね。この悩める部分に於いて上長の智慧を要したりするでしょう。

そこの切り分けを先ず行った方がいいかもですよ。今のところ混同が見られるようですので。
Posted by あんとに庵 at 2008年01月11日 19:49
あんとに庵さん、

 >すまんでふ。文書が混迷していて読解できないです。主張が判らないです。

前出「Posted by まるちゐぬ at 2008年01月10日 19:05」のコメントについてですか?それは9月22日付日記のコメントに書いた以下についてを指しています。
====== ✝ ======

(前略)

kanedaさんの場合、未信者であることから、その辺を指摘しつつ反論するほど、貴ブログの内容が既に濃くなったと拝察します。そろそろ貴ブログをご覧の聖職者方がコメントを書いてくださるようになることを祈っておりますし、あんとに庵さんやAngelic Felinさんなどカトリックに詳しい方々がkanedaさんの不足している面からフォローしてくださることを期待しています。
みなさま方のご意見は勉強になります。感謝です。
  Posted by まるちゐぬ at 2008年01月05日 15:21

====== ✝ ======

私は「司祭に聞け」と他人に「強制」していません。
「私が強制している」と主張するメールを頂戴し、実に困っています。
ここのブログ主が「教会にもかかわらず、司祭にも一切聞かないでこのブログを書いている」と公に明らかになったことで十二分に満足しています。そもそもヨソのブログや掲示板にまでここのブログ主のバックグラウンドを探る書き込みが増えていることを知っておりましたので、私のコメントが原因とはいえそれがはっきりしたことで多くの読者がスッキリされ、そういうくだらないレベルでのエントリーや掲示板討論が減るだけでも、本来の目的の実りが早くなるのではありませんか?
こちらの最新エントリーでもわかるようにご自身が立場とブログコンセプトを明らかにした、それでよろしいのではないでしょうか。

カトリック教会の門外でいくら教会法についての自己見解や感想をスピーカーを使ってがなってもそれは正月三が日の「神は裁く」の騒音に等しいものです。「どうぞご勝手に」ですし、それをする自由があることも、場合によっては地方警察に認可申請することだって私は知っています。
まして求道者でも信者でもない方が司祭に聞かず、自己研究発表をブログスペースで行う自由だって重々承知しています。それにはそれを好む読者が現れるのだからよろしいことではありません?


>他者へ報告義務もない領域です。

誰か求めています?
ピオ会という器に入っている者をわけ隔てなく平等に救済することを現在のカトリック教会は行っていません。が、その器の中にいる個人の対応は真剣に行っていること、ここに申し添えておきます。

秘跡については聖俗共に本人が秘跡にあずかった時の状況と、その場の「神」が何たるかなど考察してカトリック教会への転会やら改宗(場合によっては再洗礼など)であって、ピオ十世会限定での判断はありえません。別の面からの無効という意味が通じないならこの場では「それまで」としか私の立場では言えません。申し訳ありません。
Posted by まるちゐぬ at 2008年01月11日 23:08
>「教会にもかかわらず、司祭にも一切聞かないでこのブログを書いている」と公に明らかになったこと

これが明らかになったからといって、何が変るのかがわかりませんが?ここで金田さんが書かれた内容の信頼性を損なうものでもない。そこが判らないのが問題。

オッカムが切り分けたことはその辺りなんだがな・・・。論じることが可能な範囲と可能でない範囲がある。

お返事を読む限り、その意味を書いた私の文書も全然理解していない。

そして、上記のことを明らかにしたからなんだというんだ????

カトリック神学の論理というのはそんなレベルで左右されるほど情けないものではないですよ。


まぁ、判らないようなので、ここでやめときますが。

ただ、上記、引用の事柄は「間違っている」とだけ申しておきます。あきらかにされてないだけで、そこまで他人のプライベートに踏み込むのは僭越でしょう。
Posted by あんとに庵 at 2008年01月11日 23:55
まるちゐぬさん:「方法が違うだけで、既に行っているだけで、それが貴殿の心に響かないだけの話です。
先に挙げたラゲリ師もこうして無知な羊からの質問に既に公開で返答始めていることは、その一端です。」

既に行われているのは、みな日本以外の例でしょう。
悲しいかな、多くのに日本人は外国語に疎いです。
いくら欧米の言語でSSPX対策がされていても、日本の信者のほとんどはその恩恵に与っていません。
体系的にSSPX対策の資料が紹介されたのは、おそらく金田さんのブログが初めてでしょう。
一方、以前からSSPX側の資料は、小野田SSPX司祭によってかなり充実しているようです。
あのままでは一方的にSSPXの主張のみがネットで流され、そちらに傾く人が次々と出たでしょう。
私は防波堤をたててくれた金田さんにたいへん感謝しています。

Posted by angelic feline at 2008年01月12日 00:08
あんとに庵さん

  >これが明らかになったからといって、何が変るのかがわかりませんが?ここで金田さんが書かれた内容の信頼性を損なうものでもない。そこが判らないのが問題。


わからないならそれでよろしいかと思います。私も貴女がおっしゃる「ここで金田さんが書かれた内容の信頼性を損なうものでもない。」というのは既に重々承知していますけど。

上記引用の読み方ですけど、そちらがご理解に至ってないのでは?

私が書いたのは方々のブログや掲示板で無駄なこと、つまりここのブログ主のBG詮索によって本論が霞むこと、仮にご本人が求道者でも信者でもないのであれば、聖職者はもちろんカトリックに詳しいあんとに庵さんやAngelic Felineさんがフォローしてくださるといいですね、と書いたに過ぎません。

私、プライベートに踏み込んでいますか?
別に受洗うんぬんに関わらずとも、論客の不足を補い合って、真の実りを見るのが理想ではないですか。品のない言葉での煽り合いくらい論点を曇らせることはありません。しかもブログ間をまたいで。その自由はもちろんありますから、ブログ主がそういう行為を好まれているのも既に承知しています。

  >そして、上記のことを明らかにしたからなんだというんだ????
  >カトリック神学の論理というのはそんなレベルで左右されるほど情けないものではないですよ。


ですから、貴女が想像なさった先(カトリック神学の論理)がまず見出すべきナニカから外れているとだけ申し上げておきます。そうとしか私の立場では返答できません。失礼しました。
Posted by まるちゐぬ at 2008年01月12日 00:21
まるちゐぬさんからも許可をいただきましたので、私から彼女におくった私信(4通のうち第一と第三)をこちらに掲載させていただきます。
内容はまったく変更していませんが、一部、誤字のあるところだけ訂正させていただきました。
_____________________________

件 名 : kanedaさんのブログから
金田さんにこれ以上迷惑をかけられないのでメールします。
金田さんが許されるならブログを使わせて頂くのはありがたいことですが、ピオシンパから見て敵の分裂のように見えたら願ってもないことでしょうから。


>Posted by まるちゐぬ at 2008年01月08日 18:47
>>委員会の担当者の発言より、自分のまわりにいる司祭の見解のほうが優れているわけではないでしょうね。

>なぜ世俗平信者の貴女が優劣をもって聖俗信者をここで見定める発言をなさいますか?

Ecclesia dei委員会の担当聖職者が自分の携わっている仕事のエキスパートでなくてなんなのでしょう?
関わっていない聖職者は、その件に関して回ってくる文書のみのことしか知り得ませんが、担当者はその結論にたどりつくまでの過程や問題点に通じているのは当たり前の話じゃありませんか。

>>読解力のある人なら、近くの司祭にさらに解釈してもらうより直接読めば済むことです。

>と世俗に言われても、私は司祭が信者に勧めることに従います。

そうおっしゃるならペルル書簡について、既に司祭に解釈して教えてもらったということでしょうね。
SSPX関連の文書は全部読んだと何度もmixiで力説されているのですから、その全てを司祭の指導のもとに勉強されたと理解していいわけですね?
一つでも司祭に解釈してもらっていないのだったら言行不一致です。

>聖体捧持者でらっしゃいますか?

いいえ、聖体”奉仕”者の資格を持っているだけです。

>ですが、第二バチカンで聖俗の境を取り除いたとはまったく聞いておりません。

聖体奉仕者は役務的祭司職をおかすものではありません。
文句があるなら当時の教区長である白柳枢機卿か今の岡田大司教に言ってください。しかし文句を持つこと自体、あなたの考えでは聖俗を犯し、在俗の者が聖職者に意見する越権行為になるのでは?

>私も指導司祭からカテのベニン版をいただき全文拝読しましたけど、要理本の目的は単に読むためにあるものではありません。

指導も受けずに読んでいいんですか?
言っていることとやってることが違うようです。
していいことと悪いことの線引きが不明確です。

>世俗の知識が不足しての限界ではなく、世俗の立場としての限界を私はさしています。

どの限界を私や金田さんが超えたというのですか?
Posted by angelic feline at 2008年01月12日 00:56
第3の手紙です。一部掲示板名は伏せ字にいたしました。
________________

まるちゐぬさん:
>私の相手先は生きている聖職者、修道者です。インターネットだけでなく電話も用いています。(^_^)

あなたが尋ねたり報告したことしか相手はコメントしないでしょう。
脳内の理解を100%チェックすることなど不可能です。
現にあなたは秘跡の有効・無効の話を理解しておられない。どなたも教えてくださらなかったようですね。


>例えば、ペルル師から直接、貴女方のご意見の正誤とペルル師が貴女方の文章を読んでの意見と分かち合いなさっています?

ペルル書簡の理解で間違いがあるなら、その部分を指摘すべきです。
どの部分を聖職者に尋ねるべきか言わず、頭から間違った理解だと決めつけるのはいかがなものでしょう。


>教会法に書かれていることでの見解は既に現実世界でもこの事例に興味ある方々が知るところであり、このブログでもその点での結論はとおに出ています。

***で過去、ピオシンパとやり合いました。おそらく金田さんもそこにいらっしゃったでしょう。シンパたちは違法性はないと譲らなかったのです。そしてそのウソに騙される人も未だにいるのです。
あなたにとって結論は出ているのでしょうが、違法性を認めない人への理論武装を用意するのは多くの人に役に立つと思います。
先に進みたい方はどうぞ。私は金田さんの仕事を評価します。


======
そしてnoと言った教会は同棲した二人をどう扱うか教えてくださいませんか?
======

ゆるしの秘跡を受けさせ、結婚の準備へのと進めるのではないでしょうか。
結婚講座を受ける準備期間は、なるべくなら別居させ禁欲生活を送らせます。
そして聖職者がこの2人をカウンセリングするときは、もともと同棲をした理由がなんだったのか、経済的な問題があるとか、特別な人間関係とか、宗教的な理由があるかどうかに注意し、個別の問題解決のために気を配る必要があると思います。離婚につながることがないようにするためです。
カップルが教会にやってきたときは叱りつけたり、それまでの関係を否定するような拒否的態度をとらないほうがいいと思います。そして準備期間はキリスト教的な家庭や婚姻の秘跡の意味をよく理解させるチャンスとして活用すること、じゃないでしょうか。


>この質問で私が貴女に手続を尋ねたと思われました?

はい。


>ご自分の興味のないことは、たとえ「教えてください」と私のようなバカに求められても教会法典を開く気も起こらないですか?

興味のないことというより、話を広げてなんの得があるのかと思いましたから。
他人のブログで長々と対話を始めるのは内心気が引けます。そこに来て「よくないとわかっていてもやってしまった行為」の例としてあげたものを延々と問いつめられてもなぁ…と気が進みませんでしたから。私が答えたことでどうしようというのですか? 添削でもしてくださるのですか?



>このピオの件や(ピオ抜きに)カトリック教会内の典礼については聖俗一致して考えることではないですか?

気の合う人を誘ってお考えください。
あなたとはコミュニケーションの相性があまり良くないらしくて、理解しあうのが困難です。


>私は最初からkanedaさんが未信者ゆえに不足している部分を補って下さる方が現れる時期にこのブログが入ったことを述べつつ、そういう方々が早く現れるよう期待することを書いています。

お知り合いを呼んでくればいいじゃないですか。


 >>>理解に苦しみますが、なぜにここでずっとヨソでの討論の話を続けていますか?
 >>すっかりお忘れになっているようですが、

>まだ続けますか?
>ネット上の一般常識を逸しています。

何が一般常識なんでしょう?ヨソの討論じゃありません。
http://defencecatho.seesaa.net/article/70677040.html#comment
>ラテン語ノブス・オルドミサと1962ミサの扱いの違う点は後者は司教に申請後、認可をいただくこと、<
と12・10にコメントされています、金田さんのブログで。



 >>退屈ならここを覗くのをやめ、他人に期待するより自分で動いたらいかがですか?

>この場を信仰を抜いた法学ゼミの研究発表という空間を仮定するなら、私だけでなく当事者であるカトリック聖俗信者もピオ会の方々も覗かなくなる可能性はありますね。それは惜しいと思います。だからそろそろ聖職者、修道者、諸先輩方のフォローを期待したいと最初から述べていますが。

人に期待せず自分で動いたら?

 >>所属教区内のミサに与り、司牧されていますので、何の問題もないし、選り好みしていると言われる筋合いもございません。

>だったら頬白さんと同じですね。

私はSSPXのミサに出たことはありません。



>いちいち「墨をもらった」と書かなくても、なぜかそういうことはわかるのはなぜなのか考えたことがありますか?カトリック知識だけではこういう「何か」を感じ取れません。

なるほど、だからSSPXのミサを有効であり無効などと論じられていることがお墨付きなしだと、私のような者にもバレバレなわけですね。


>でしたら貴女の信仰生活において司祭が必要なのは貴女にとっていつですか?

秘跡をいただくときです。


>私は役所文書を読んでわかります。が、例えば教会法、要理を一人で読んだら必ず司祭や修道者に自分の読後感想と疑問点を話すようにしています。

疑問を持ったら聞くのは私だって同じです。
あなたは自分の理解しないことを金田さんが書いたからといって、金田さんや私に司祭に尋ねろと強制するのですよね。有効・無効の話は本当に確認されたほうがいいですよ。
Posted by angelic feline at 2008年01月12日 01:03
なお、上記2通のメールは当ブログの2007.9.22記事「聖ピオ十世会って何?(後編)」のコメント欄から派生したものです。
ブログ主のご意向により、こちらのコメント欄に掲載させていただきました。
Posted by angelic feline at 2008年01月12日 01:07
 >ブログ主のご意向により、こちらのコメント欄に掲載させていただきました。


このブログ内のどちらにブログ主のご意向が書かれていました?
Posted by まるちゐぬ at 2008年01月12日 04:12
>このブログ内のどちらにブログ主のご意向が書かれていました?

9/22の記事のコメント欄です。引用しておきます。
______________________
angelic felineさんとまるちゐぬさん双方の合意があるのであれば、このブログ内で公開していただくのは一向にかまいません。
便宜上、1月9日エントリの記事のコメント欄の方がよいでしょうね。

http://defencecatho.seesaa.net/article/77361927.html
Posted by kanedaitsuki at 2008年01月11日 08:32
_______________

9/22ではなく1/9のコメント欄のほうへと言われていたので、ご指示に従いました。
Posted by angelic feline at 2008年01月12日 10:36
まるちゐぬ様>

>私も貴女がおっしゃる「ここで金田さんが書かれた内容の信頼性を損なうものでもない。」というのは既に重々承知していますけど。

うーん。だとしたら、ナニを食い下がってここまでごねてるのかさっぱり判らん。

それに

>仮にご本人が求道者でも信者でもないのであれば、聖職者はもちろんカトリックに詳しいあんとに庵さんやAngelic Felineさんがフォローしてくださるといいですね

・・・に関して、秘蹟の問題に関しては、このエントリでの金田さんの主張にはフォローは必要ないと思っております。

つまりフォローを要するか?否か?っていう点でも、否になるですよ

自分が考えていることをもう少し整理して他者に伝達出来るように書いてくれるとありがたいんだが・・・。たとえば・・・

>ですから、貴女が想像なさった先(カトリック神学の論理)がまず見出すべきナニカから外れているとだけ申し上げておきます。

・・・という箇所も、まるちゐぬさんがナニを言いたいのかさっぱりわからんです。「私の想像なさった先(カトリック神学の論理)」ってのが全然よく判らん。ゆえにまるちゐぬさんがいう「見出すべきナニか」というのも、どういうものを想定しているのかよく判らんし、ゆえにこの二つの結びつきもさっぱり何をいってるのか判らない。ナニもわからんのを「外れている」といわれても困るなぁ。という印象しか受けない。

とにかく、情報伝達をきちんとしていないから誤解を生んで泥沼化しているんだと思うが。

喧嘩状態で感情的になりすぎて、実は冷静だとおんなじこと考えているはずなのに間違って対立してる状態になっているようにも思えるんだが。

で、どこに問題があるのかっていうと、まるちゐぬさんの考えが文書化される段階で、曖昧すぎて伝わっていないことにあると思う。先ず落ち着いて文章を推敲して書かれる事をお勧めします。
Posted by あんとに庵 at 2008年01月12日 15:07
 時々、読んでいます。今日のコメントで、ハッとしました。「あんとに庵」さんは、女性の方ですね?これまで、貴女の文体から、男性と思っていました・・・。失礼!
Posted by 法連草 at 2008年01月12日 17:18
法連草様>

まぁ、カキコ内容に関して、性別が問題にならないのと同じく、金田さんが本論で証明していることの内容も、信者、非信者問われない範囲だということで。笑)

一輝師匠の文章の場合、煽り文句に引っかかって、とさかに来てしまう人々が多発するのが困ったものである。
Posted by あんとに庵 at 2008年01月12日 17:35
あんとに庵 さん
 私にとっては、驚きなのですよ。文体百変化ですね。今日のコメントのある表現で、見抜きました。まあ、そんなにトサカにこないでください。貴女の「地の文」が読みたいです。
Posted by 法連草 at 2008年01月12日 17:52
私の背景がそんなに重要なことなんですか?
だいいち、HD「まるちゐぬ」さんは前から私のことを知っているはずで、私が未信者であり、カトリックは独学であることなど、百も承知のはずでしょう。
なぜいまさらそんなことを声高に主張するんでしょうかね? 
「自分は絶対に間違っていない。間違っているのは金田だ。なぜなら自分はカトリック信者であり、金田は未信者だからだ」
空しい主張です。ちっとも論理的ではない。







ここで私が「実は・・信者なんです」と告白したらどうなるんでしょうかねえ?
Posted by kanedaitsuki at 2008年01月12日 19:04
まるちゐぬさん、

>>「一面からは無効、別の一面から有効」
>これは今も変わりません。聖職者方かた伺ったことを覆す気にはなれません。
>ロヨラが残した言葉に「自分にとって黒に見えても、カトリック教会が白であると宣言するなら それを信じよう。」というものがあります。

聖ピオ十世会の叙階は「一面からは無効、別の一面から有効」などと、聖職者方かた(何だこりゃ?)が本当に言ったのですか? どこの誰で、どういう言い方をしたのか聞かせてください。
もし本当に「一面からは無効、別の一面から有効」と言う聖職者がいるのならば、いまだに一文たりともそう明示するソースがないのは、明らかに変ですよ。
そもそも、それに反する数々の教会文書はどうなるのです? エクレシア・デイ委員会前長官ペルルやラッチンガーは嘘を言っているのですか? 
ペルルやラッチンガーはカトリックの聖職者じゃないんですか?

「自分にとって黒に見えても、カトリック教会が白であると宣言するなら それを信じよう。」というのは、むしろここでのまるちゐぬさんにあてはまっている言葉です。
貴殿は気づいていないようですが、聖ピオ十世会の叙階の有効性を否定するのは、信ずべき教義(叙階の秘跡について)の否認になります。
洗礼者が公で頑固に教義の一部を否認しつづければどうなるか、カトリック信徒の方には申すまでもないでしょう。
Posted by kanedaitsuki at 2008年01月12日 20:03
あんとに庵さん、

 >・・・という箇所も、まるちゐぬさんがナニを言いたいのかさっぱりわからんです。

わからないだろうな、と思いました。いつかわかるといいですね。それしか私の立場では言えません。

Posted by まるちゐぬ at 2008年01月12日 20:45
kanedaさん、

 >だいいち、HD「まるちゐぬ」さんは前から私のことを知っているはずで、私が未信者であり、カトリックは独学であることなど、百も承知のはずでしょう。


イエズスさま、マリアさま、できることは何でもします、喜んで。

と書いても真意は通じるかなあ。



  >ここで私が「実は・・信者なんです」と告白したらどうなるんでしょうかねえ?


そうさねぇ、例えるなら、洗礼後、頭の良さが災いして、司祭を軽んじ、自宅で独学する自分の秘跡のためだけに教会に関わる信者さんかなあ、と想像する程度かと思いますよ。この気の毒なガッコあたま信者のために心をひとつにして祈るのが家庭内宣教でしょうか。既に多くの読者が祈り始めているかと思います。
Posted by まるちゐぬ at 2008年01月12日 21:06
「わからない」とか、「いつかわかる」とか。。。とほほだな。をい。

文字情報はきちんと伝達しましょう。
Posted by あんとに庵 at 2008年01月12日 21:06
kanedaさん、

>「一面からは無効、別の一面から有効」

これの「一面」という語からして既にわかってないのではないですか?
ペルル文書のことも私には彼が書いていることが現在、ナマで目の前で繰り返し起こっているに過ぎません。文章よりはるかによくわかる。嘘も何も、kanedaさんの意見は世界中がハワイみたいですよね。欧州における都市形成史から学んだ方がよろしいのでは?ピオ問題では重要です。


>聖ピオ十世会の叙階の有効性を否定

もう十回近く書いていますが、一回もご覧になってらっしゃらないと露になって痛々しいですわね。読まずに食べる山羊みたいなもの。

漠然とした「叙階」の秘跡の中身が大切であって聖ピオ十世会のみ有効が無効になると考えているのがおかしくないですか?私はルターの例も出しました。「ある一面から無効」になる部分について貴方がわからないのは、貴方が知る必要がないというだけの話です。私だって聞いたところで明け透けには聖側が話さないことはピオに限らず・・・というか教会生活の常識ですよ。それに土足に踏み入れば苦しむのは私自身です。一般が見れる本や教会文書に書いてあるのは「世俗にも」公にできる、差し支えないことだけです。
別にカトリックに限ったことではないですけどね。一般常識としての守秘義務とかご存知よね?

本当に全てを知りたかったら、召命を聞いたことを告白して、その道を歩んだらどうですか?神さまにこの件について祈って祈って祈り尽くして、奉献したら、きっと何らかの答えを出してくださいますよ。その時は「未信者による前代未聞空前絶後のブログ」が足かせになりますか。私はパウロの涙のごとく解放になると思いますけど。


>「自分にとって黒に見えても、カトリック教会が白であると宣言するなら それを信じよう。」というのは、むしろここでのまるちゐぬさんにあてはまっている言葉です。

kanedaさん、カトリック教会とは?
先に書きましたが司祭の按手はペトロ、イエズスさまにつながります。kanedaさんがここで私にいくら勧めを書いても、kanedaさんはイエズスさまに今、つながっていますか?
ロヨラの言葉を自己の文章の上手さで真意を変えないでください。人は神の下、平等です。神は向き合いますが、人は横のつながりです。このバランスをどう貴方は考えられる?ロヨラには「死体のように服従せよ」という言葉もありますね。
同じSJのザビエルの言葉だけど、kanedaさんに差し上げますよ。

*「イエズス会は」高ぶる人気負った人、自分の判断や名誉に固執する人々には「耐えきれません」。なぜなら、そのような人たちは誰とも一緒に働くことが出来ないからです。
*貴方の力にお願いすることは、全てにおいて自分の能力や知識、あるいは人々の好意ある評判に依拠して、それにもとづいて「判断」するのではなく、「すべての思いと行い」とを「神への信頼」にもとづかせるようにしてください。


アシジの聖フランシスコもこんな言葉を残しています。

*聖書の霊に従おうとせず、ただことばだけを学び、人々に説明しようとする修道者も文字に殺されたひとです


「私は修道者ではないからこの限りでない」と思うのは個人の自由だともちろん重々わかってますよ。カトリック信者でなければこの言葉が煩いドラの音に過ぎないし、土足で踏みにじれるということも。

ああ、やだね。他人様に「ゆるしの秘跡」にいざなわれるような挑発を受けるのは。さようなら。
Posted by まるちゐぬ at 2008年01月12日 21:40
まるちゐぬさん、

>>「一面からは無効、別の一面から有効」
>これの「一面」という語からして既にわかってないのではないですか?

もちろんわかりません。叙階の秘跡が「一面では無効、別の一面では有効」などという珍説など、今まで聞いたことありませんから。
はやく、「一面から無効、別の一面から有効」と明示的に述べているソースを挙げてください。

>kanedaさん、カトリック教会とは?
>先に書きましたが司祭の按手はペトロ、イエズスさまにつながります。kanedaさんがここで私にいくら勧めを書いても、kanedaさんはイエズスさまに今、つながっていますか?

私は司祭ではありませんが、それが何か?私が司祭でなければ、まるちゐぬさんの珍説が珍説でなくなるのでしょうか?

>ロヨラの言葉を自己の文章の上手さで真意を変えないでください。人は神の下、平等です。神は向き合いますが、人は横のつながりです。このバランスをどう貴方は考えられる?ロヨラには「死体のように服従せよ」という言葉もありますね。

私はカトリック信徒ではないですが、カトリック教会が言っていることをそのまま言っている意味では「死体のように服従」してます。
叙階の秘跡の教義について、カトリック教会に従っていないのは、まるちゐぬさんであって、私ではありません。
Posted by kanedaitsuki at 2008年01月12日 21:59
まるちゐぬさん、
あんとに庵さんの友人である神学者が、金田さんにお墨付きを与えたんですから、納得されてもいいんじゃないかと思います。

ルターの例を出されたのは、実は何を言っているのかよくわからなかったのですが、確かにルターは司祭として正しく叙階されており彼に聖変化されたホスティアはカトリックから見て有効です。
しかしルターに続くプロテスタントの聖職者は、使徒継承された司教から叙階を受けていないわけですから、ご聖体とはなりません。
それとは違い、彼らの洗礼が有効と見なされるのは、もともと洗礼は聖職者によって授けられなくても有効だからです。緊急洗礼の場合、一カトリック信徒が授けても有効だし、未信者が授けても有効です。
叙階・聖体の秘跡を洗礼とは区別しないといけないですよ。

当然ご存じだと思っていたので書きませんでしたが、どうやらそこが話の通じない原因になっているような気がします。
Posted by angelic feline at 2008年01月12日 22:13
>漠然とした「叙階」の秘跡の中身が大切であって聖ピオ十世会のみ有効が無効になると考えているのがおかしくないですか?

これサッパリわからないなぁ。

金田さんは「有効が無効になる」なんて全然おっしゃっていません。
ずっと一貫して有効だとおっしゃっている。
むしろ「有効が無効になる」に近い発言をしているのはまるちゐぬさんのほうなんですが。
で、「叙階の中身」ってなんのこと?

ピオ会司祭の叙階が「ある一面から無効」になる例なんていままであったでしょうか?
何を根拠に言われるのかわからないし、しかも守秘義務だのなんだのと、神秘のベールに包んで隠そうとしている。
かなり凝り固まった勘違いをされているような気がするし、もしや陰謀論者じゃないかと思えるほどカトリックの裏の世界を仄めかされていますね。
違う教会の話を聞いているようです。( ゚д゚)ポカーン


Posted by angelic feline at 2008年01月12日 22:27
ε= (´∞` )bof....
Posted by まるちゐぬ at 2008年01月13日 03:00
angelic felineさん、

>金田さんは「有効が無効になる」なんて全然おっしゃっていません。
>ずっと一貫して有効だとおっしゃっている。
>むしろ「有効が無効になる」に近い発言をしているのはまるちゐぬさんのほうなんですが。
>で、「叙階の中身」ってなんのこと?

下記のまるちゐぬさんのコメントですが、

>>「一面からは無効、別の一面から有効」
>これは今も変わりません。聖職者方かた伺ったことを覆す気にはなれません。
ロヨラが残した言葉に「自分にとって黒に見えても、カトリック教会が白であると宣言するなら それを信じよう。」というものがあります。
>再受洗、再叙階の必要がないのはピオに限ったことではありません。他宗派からの改宗でも同じ審査に過ぎない。世俗平信者の私がそれについて反証をここで挙げるつもりはまったくありません。

何か私に重大な勘違いでもあるのかと思い、何度も何度も読み返してみたのですが、まるちゐぬさんが結局何を言いたいのかさっぱり分かりません。本人も問いかけにお答えにならない。
しかし、文字通りに読んでみましょう。

まるちゐぬさんは同時に二つの命題を主張しています。

A「聖ピオ十世会の司祭の叙階は(一面から)無効」
B「聖ピオ十世会の再叙階必要なし(叙階は有効)」

AとBはあきらかに背反しており、どちらかが真であればどちらかが偽です。決して両立しません。
何度問い直しても、あいかわらずAを主張しているので、まるちゐぬさんの本意はAの方(ピオ10の叙階は無効)にあるものと私は理解しています。
にもかかわらず、Aに相反するBを同時に(同じ文章の中で)主張しているということは、次のように結論せざるをえないわけです。

<<<まるちゐぬさんは、「叙階の秘跡の有効性」について理解していない。>>>

この結論は信仰があるかどうかとはまったく関係ありません。論理的な矛盾ですから。
もちろんまるちゐぬさんが自分の無理解を認めたくないのは、論理的な理由というよりも、単に心理的理由でしょう。
間違いを認めることは恥ずかしいことではありません。私も自分の無知や間違いを度々認めています。
むしろ、明々白々な(あるいは本人もうすうす気づいてしまっている)間違いを認めず、こうした公の場で誤謬にしがみつくことこそ、恥さらしだと思います。
Posted by kanedaitsuki at 2008年01月13日 15:55
>ALL

先に以下のようなコメントがありました。

====== 

違う教会の話を聞いているようです。( ゚д゚)ポカーン

  Posted by angelic feline at 2008年01月12日 22:27

====== 


ようやくご本人が気付かれたようですね。
私は既にこの方が更に上で公開されている以下の言葉、


====== 

 >でしたら貴女の信仰生活において司祭が必要なのは貴女にとっていつですか?

秘跡をいただくときです。

  Posted by angelic feline at 2008年01月12日 01:03

====== 

この一文で、私の知るカトリックとは違うと重々承知しておりました。もちろん1月12日付でここで公開されていますから、読者の方々が各自、ご自分の信仰生活と照らし合わせて判断されることです。
私はこれまでお世話になった司祭方、修道者方から決して「本流」から外れることのないよう、ご指導いただきましたし、今も秘跡だけでなくいろいろご指導を受けており、臨終までその仰せに従い続けます。

あまりこのような場所に書くには戸惑いを覚えますが、どうもご理解いただけないようなので、改めて申し上げます。先にあります 2008年01月12日 01:03 付コメントに貼られたメールをコンフィデンシャルに頂戴して後、わたくしから出した返信の結びに私は「さようなら」と書きました。私個人におきましてこの結びを先様に用いることは今後、私からメールは送信しないことをさしています。その証拠に

======
昨夜、私から4通、まるちゐぬさんから3通のやりとりがありました。私のほうは全文公開するのも一向にかまいません。まるちゐぬさんさえよければ転載するのも、個人情報のことで気になるところを削除や伏せ字にして載せるのもOKです。

  Posted by angelic feline at 2008年01月09日 17:56

====== 

私は4通目に返信しておりません。
どうも「さようなら」だと意味が不明瞭で、先様に通じなかったようですので、ここであらためてメールを下さり、自らこちらに公開転載なさって下さった方にご挨拶申し上げます。

Adieu
Adios

Adieu はフランス語ですが元はA Dieu 「神のみ下で」という意味です。スペイン語のAdiosも同様です。
Posted by まるちゐぬ at 2008年01月13日 17:00
補足。
そもそもなぜわたくしが先方からいただいた第一通目、第三通目のメールの転載を希望したのかと申しますと、わたくしのあて先に確かに前出、先方が貼られた2通のメールを頂戴しましたが、内容にはわたくし宛の宛名もなければ、送信された方のサインにあたる言葉も挨拶もまったくなく、上の転載文ほぼそのままです。
つまりわたくしとしては個人のポストに入れられたものの、中身はチラシ同然でございます。スパムメールの方が差出人の名前が嘘でも書かれて文章がしめられておりますでしょうから、スパムメールの方がはるかに今回いただいた2通のチラシよりまともな常識かと思われます。
故に転載しても構わないと判断いたしました。以上です。
Posted by まるちゐぬ at 2008年01月13日 18:25
>Posted by まるちゐぬ at 2008年01月13日 17:00
(ま)でしたら貴女の信仰生活において司祭が必要なのは貴女にとっていつですか?
(a)秘跡をいただくときです。
(ま)この一文で、私の知るカトリックとは違うと重々承知しておりました。

司祭の祭職を否定するカトリックは一人もいないはずですから、否定されるなら私のいるローマ・カトリックとあなたのカトリックは別ものでしょう。

私は司祭の教職ももちろん認めていますが、まるちゐぬさんが理解されるようなバチカンの発行する通達も一切ひとりで読んではいけないという信徒の思考力・読解力を否定するカルト的な力をふるう教職を認めません。
入門時に私を教えてくださった4人の司祭のうちただ一人さえ、司祭に聞かなきゃローマの通達さえ読んではいけないなどと教えられませんでした。

Posted by angelic feline at 2008年01月14日 22:00
>Posted by kanedaitsuki at 2008年01月13日 15:55
<<<まるちゐぬさんは、「叙階の秘跡の有効性」について理解していない。>>>

おっしゃるとおり、そうとしか考えられません。

>間違いを認めることは恥ずかしいことではありません。私も自分の無知や間違いを度々認めています。
>むしろ、明々白々な(あるいは本人もうすうす気づいてしまっている)間違いを認めず、こうした公の場で誤謬にしがみつくことこそ、恥さらしだと思います。

まるちゐぬさんが間違ったことを強情に言い張る(もっと正確には、間違ったと気づくと主張を言い訳のように「こういう意味だった」と変えて誤魔化す傾向がある)のは、実は初めての経験ではないので驚きませんが、前からの知り合いである金田さんにも同じような態度をとるのは少々ビックリしました。

私も自分の誤りを彼女に謝罪したことがあります。
それを見た彼女もきっと彼女の間違いを認めてくれるだろうと期待したのですが、最後まで頑なでした。
これだけ誰の目にも明らかなほど間違いを指摘されても、認めることはないでしょう。
間違いを認めないことは、人から信頼されなくなるということに気づいておられないのかもしれません。あるいは海外に住む人が自分を守るために身につけてしまった悲しい習性なのかもしれませんが。
Posted by angelic feline at 2008年01月14日 22:17
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