発端は、ハンドルネーム「まるちゐぬ」というカトリック信徒の方が、聖ピオ十世会の叙階の有効性について疑義を呈していたことにはじまる。私は何か考え違いでもしているのだろうと思い、最初はやんわりと遠まわしに間違いを指摘した。しかし、私の文章の半分はやさしさでできていることを、相手がよく理解できなかったようなので、今度はもっと直接的に誤謬であることを説明した。今度は何を思ったか、「まるちゐぬ」さんは、聖ピオ十世会の叙階は「一面では無効、一面では有効」という珍説を持ち出してきた。
コメント投稿欄でのやりとりを再掲する。
http://defencecatho.seesaa.net/article/56601220.html
「まるちゐぬさんは、「聖ピオ十世会の司祭の叙階は有効ではない」というお立場であったと記憶するのですが、立場が変わったということでしょうか。それとも違うのでしょうか。」(私)
「立場は変わっておりません。
が、一面から照らした場合は無効ですが、別の一面から照らせば有効という立場です。」(まるちゐぬさん)
聖ピオ十世会の叙階が有効であることは自明の問題と思っていた私は驚いた。しかも、「まるちゐぬ」さんは日ごろ聖ピオ十世会批判をされている方である。聖ピオ十世会批判をしている人々なら、聖ピオ十世会のステイタスについての重要な文献として、エクレシア・デイ委員会前長官ペルルの書簡を読んでいて当然である。ペルルは複数の書簡で、同じ言い回しで繰り返し、聖ピオ十世会の叙階は「違法だが有効」であると述べているのだ。これを否定するためには、反証として、同等の権威あるソースがなくてはならないが、今のところアマゾンの奥地に行ってもそのようなものは発見されていない。
それでもなお「まるちゐぬ」さんは誤謬を撤回しないので、やむをえず、聖ピオ十世会の叙階の有効性について、単独記事を挙げざるをえなくなった。
http://defencecatho.seesaa.net/article/77361927.html
今のところ、私としては聖ピオ十世会の叙階の有効性について、これ以上言う理由も必要もない。これでも分からないのであれば、しかるべき文献を読むなり、信頼できる方に聞かれたらよいと思う。
さて、私が最も問題と思い、最も失礼だと思ったのは「まるちゐぬ」さんの以下の発言である。
http://defencecatho.seesaa.net/article/56601220.html
「カトリック教会が一聖俗信者の「有効」を判断するにしても教会法など文献に照らし合わせるだけではありません。例えば「叙階の有効性」で、kanedaさんが「有効性」に重点を置いても、カトリック信仰においては「叙階の「中身」が重要なのですよ。「無条件で受け入れるしかない」というのもkanedaさん個人が見出した結論ですよね?それともkanedaさんがカトリック聖職者から伺ったことですか?これ、私のような凡信者にはとても大切なことなのですよ。」(まるちゐぬさん)
言わんとすることはこうだ。金田一輝なる人物(私のこと)は、聖ピオ十世会の叙階の有効性について、単なる個人的見解を述べているに過ぎない。カトリックの聖職者に尋ねてお墨付きをもらったものでないと、自分は信用しないぞ。
まず、聖ピオ十世会の叙階の有効性について、私は単なる個人的見解を述べているのではない。というよりも、個人的見解など一切述べていない。私は、誰でもアクセス可能なソースに基づいて、教会の見解を引き写しているに過ぎない。他方、「まるちゐぬ」さんはどうかというと、聖ピオ十世会の叙階が「一面では無効、一面では有効」という個人的見解を述べているだけで、それをサポートするソースは一切呈示していない。
信者にとってカトリックの聖職者に伺うことが大事だというならば、「まるちゐぬ」さんが個人的に勝手に尋ねればいいだけの話で、文書で確認できることを、私がいちいち聖職者に聞く理由はない。
たとえばカトリックの教義について尋ねたとして、聖職者の回答は、質的な差異を除けば、一様であり同一であるはずで、教義なのだからそうでなくてはおかしい。そして聖職者が述べる教義は、一般に手に入るカテキズムに書かれていることに「反して」いるはずがない。従って、"Catechism of the Catholic Church"に書いていることを私が「カトリックの教義」として理解したとしても、それ自体をとがめだてされるいわれはない。
そもそも「まるちゐぬ」さんは、件の聖ピオ十世会の叙階が「一面では無効、一面では有効」という珍説を披露された同じ投稿欄で、その個人的見解に反するソースを本人自ら引き合いに出している。
http://defencecatho.seesaa.net/article/56601220.html
「http://catholique-nanterre.cef.fr/faq/pretres_traditionnels.htm
叙階、洗礼、聖体、堅信、病者の塗油は有効です。
聴罪と婚姻は原則として無効です。」(まるちゐぬさんによる引用)
「まるちゐぬ」さん本人の説明によれば、リンク先は「フランスの中学生程度で理解できる内容」だそうである。つまり、「まるちゐぬ」さんは「中学生程度で理解できる」文章すら誤読しているのである。
さて、「まるちゐぬ」さんはなんでもかんでも聖職者に尋ねるようで、それはそれでけっこうなことである(教えてちゃん信徒を持った聖職者は気の毒ではあるが)。
しかし、カトリックの聖職者は決して間違ったことは言わないと仮定したとしても、その聖職者の言った言葉を「まるちゐぬ」さんが正しく理解しているかどうかは、また別の問題である(中学生程度で理解できる文章すら正しく理解していないのなら、なおさらそうである)。そして、「まるちゐぬ」さんの理解の正しさを、例えば第三者である私が判定しようとすれば、両者に共通のソースを基にそうするしかない。そしてそのソースは、カトリックについて言えば、カテキズムや教会法、その他の教会文書になるだろう。この手続きに関しては、信者であるか未信者であるかに違いはない。後者の方が通常、教会文書などに不慣れであることを除けば。
幸いなことにカトリック教会は、一般の人でも入手できるプライマリーソースにことかかないので、私のような未信者による「カトリックの擁護」という、前代未聞空前絶後の試みができるのである。素晴らしいフェア精神であり、私がローマ・カトリックを尊敬してやまないゆえんの一つである。
そういうわけで、事柄によっては、未信者が信者の間違いを指摘することは原理的には可能である。今までの経験から言って、私に間違いを指摘された信者の多くは、私が未信者であることを理由に、わけのわからない非難をしている。またここに一例が付け加わったわけである。
(文責・金田一輝)
【極私的カトリシズムの最新記事】



>(教えてちゃん信徒を持った聖職者は気の毒ではあるが)。
私が物心つく前から育ててくださった多くの司祭、修道者、代母、教会の諸先輩方、私の霊的子供たちは貴方のこの言葉に頷くどころか、私が「教えてちゃん信徒」であると信者以外からも認めてもらえたことに喜んでいることをお知らせしておきます。
コメント欄で信者さんの意見のとおり、もし「文章の読解力があれば司祭が必要ない」ならば、私は喜んでその力を捨てます。もし目が見えなくなってもどれほどの喜びに満たされるでしょう。今回ほど私が他人に貶されるほどの力足らずの馬鹿であることを神に感謝したことはありません。
この貴エントリーを拝読して、なぜか長崎までの道の途中、各所で行われた公開裁判ショーを思い出しました。司祭に聞く耳を持たないよう耳をそがれても、司祭を訪ねることができないよう裸足にされて雪道や砂利道を歩かされても、司祭の話を思考できないようにコメカミを切られても、私において魂も良心も何等変わりませんし、貴方の言葉に微塵も動じることもありません。
貴方がどんなに教会法をあげて正しいと主張しても、私は司祭から教えていただいたことをまず重んじ、従います。なぜなら彼の按手はペトロにつながり、イエズスさまにつながるからです。
どんどん続けてください。
殉教すればまっすぐ天に昇れます。喜んで貴方からの言葉の刃をいただきます。(^_^)
>未信者による「カトリックの擁護」という、前代未聞空前絶後の試みができるのである
良くて海外公立大学の神学部基礎過程の研究発表レベルではないですか?カトリック信者でない神学者なんてうじゃうじゃいるのが世界です。世界中のカトリック系大学だけでなく米国内のハーヴァード、イェール、コロンビアやら仏や独など欧州内の公立大学の神学部にメール出してお仲間を探してみたらどうですか?例えばLe Monde religion紙は神学者が編集長で非常にバランスの取れた内容です。英語で投稿してみればいいのに。
「前代未聞空前絶後の試み」と自画自賛してもそれは地球において「世間知らず」なだけです。貴殿の弁護人に「日本の状況は世界と若干異なる。」といきなりドメスティックな話題に狭められて口封じさせようとしても、単なる一箇所の釣堀池みたいなものです。「前代未聞空前絶後」の試みを持って養殖魚を育てつつ、水やら器のお掃除をまずよくなさって、養殖魚を大海に放ってください。大海では毒になるか、水も生物も豊かにするのか、餌になって終わりなのか、一読者として楽しみにしています。
ただ、
「信仰がなければ無意味だ」だの「信者でない人間に語る資格はない」
・・・について、ここの内容から離れ、この言葉についてだけ反応してみるが、
この手の信仰者の傲慢ってのは実はちょいと厄介だ。
無信仰の人を差別してるわけではないが「自分の方が物事についてより正しく判断している」という間違いをおかしやすい。
より正しく理解しているかどうかを判断するには、自分自身をかなり突き放してみる訓練が必要になる。それこそまぁ、そこで祈りが必要になるんだが。
中にいると見えなくなるって事もよくあるなぁと。
TBを送ってみましたが、反映しないようでした。サーバー側で何かあったのかも知れませんしし、一応、もう一回送ってみます。
では、要件のみにて失礼いたします。
私は、「信仰がなければ無意味だ」
「信者でない人間に語る資格はない」
と、一言も申し上げていません。が、「限界」が見えるだろう、と予想しています。この問題のターゲットはカトリックとピオの「信者」です。
>中にいると見えなくなるって事もよくあるなぁと。
これにつきましても、私は以下のように述べています。
====== ✝ ======
ゲーテではありませんが「薔薇はきれい」と口に出して言うのはあまりに簡単ですが、薔薇の本当の美しさを知るには花びらをほぐし、茎を割り、全てを見た上でその本当の美しさを語れる」です。ピオの言い分を読まずにローマの言い分だけ読んで他人に自分ひとりの感想を述べるのはあまりに浅い見解です。カトリック・ナンテール教区でFSSPX, FSSP, BPすべてについて信者に公表しているのはなぜ?あちらに行ってもらいたくないなら出さなければいいですか?
Posted by まるちゐぬ at 2008年01月08日 16:24
http://defencecatho.seesaa.net/article/56601220.html#comment
====== ✝ ======
ベアトリクス・ポターが動物の絵を描くために神経まで解剖した話も漏れ聞いたことがあります。
カトリック・ナンテール教区がFSSPX、FSSP、BP各団体の創立主旨、教勢などを公表し、読み手に比較させています。「違法だから行くな」とも書いていません。堅信も済んだ信仰上の成人が公開資料を見て判断するのは本人です。
その公開資料さえなかったのが日本の状況なんですね。
もう7,8年前になりますが、yahoo掲示板で私よりずっと信仰歴の長い京都の信者さんがやたらとSSPXを弁護するので
「でもSSPXは教皇様に反抗しているのですよ」
と言ったら
「本当か? 本当にSSPXは教皇様に反対しているのか?」
とまるでわかってない様子でした。
伝統を愛する敬虔なグループという認識しかない持っておらず、問題点がどこにあるかさえ知らないのです。
>私は、「信仰がなければ無意味だ」
「信者でない人間に語る資格はない」と、一言も申し上げていません。が、「限界」が見えるだろう、と予想しています。この問題のターゲットはカトリックとピオの「信者」です。
>中にいると見えなくなるって事もよくあるなぁと。
これにつきましても、私は以下のように述べています。
↑
うーん。「誤解される」の主体は誰だ?
いちいち説明を加える必要ないですよ。
それに応答されても困惑以外のナニモノでもない。
ちゃんと、文頭に「本エントリ内容から離れた」として説明を書いているのですから、余計なことを加えて話をややこしくしないで欲しいもんです。
そうやって余計な話まで話を拡大するのはもういい加減やめた方がいいと思われ。考え杉なうえに余計なこと読み取り杉。
そもそもこのエントリの具体的内容は犬も食わない喧嘩が発端なんで、あほらしくって触れるつもりもねーよ。
ちょっとは成長したコメントがあるかと思いきや、ぜんぜんダメダメです。
私が片足突っ込んだアカデミズムの世界では、次のことは基本中の基本です。
@言いたいことをはっきりさせる。
A言いたいことを支えるソースを挙げる。
ごく普通の議論でもこれは基本だと思います。
しかるに貴殿は、言いたいことがさっぱり分からないうえ、ソースの出し方も滅茶苦茶です。
貴殿は私が未信者であるがゆえに、私を無知と決め込み、馬鹿にする態度を取り続けてきました。私がわからないとでも思っているのですか?
私はかなり寛大にしていたつもりです。しかし、少々度が過ぎました。私は知り合いでも容赦しません。
貴殿は言いました。
「聖ピオ十世会の叙階は一面では有効、一面では無効」
であると。
はやくそう明示的に書かれているソースを呈示してください。
できないのならば、ここで公に誤りを認め、私に対する今までの言いがかりを謝罪してください。
どちらかがない限り、私の貴殿に対する対応は永久に変更されないでしょう。
私の聖ピオ十世会批判が気に喰わないのならば、mixiでこそこそ他人の悪口を書いているのではなく、ブログなりサイトなりを立ち上げて、ご自身で、満足のいく内容のものを公表されたらいいではないですか。
なぜ、しないのですか?
ちなみに言っておくと、このブログを立ち上げたのは聖ピオ十世会の問題がきっかけではありますが、もともとはサブタイ通り、私のカトリシズムへの愛を語る為にあります(笑 別に研究発表でも何でもない。
貴殿は、「良くて海外公立大学の神学部基礎過程の研究発表レベル」の記事にまで論破されてるわけですな(爆
>管理者さま>
>TBを送ってみましたが、反映しないようでした。サーバー側で何かあったのかも知れませんしし、一応、もう一回送ってみます。
そうですか。サーバー通しの相性とかもあるようです。
別にトラバ制限をしているわけではないですよ(笑
ごめんなさい!!!
TBを許可制にしていたのをすっかり忘れてました。
とりあえず「承認」しましたので。ご迷惑かけました。
今後も「承認」まで時間がかかる可能性はありますが、こりずにTBしてください。
mixiでここをオチしている人々がナニを書こうが自由でしょ。ここでまるちゐぬさんがきちんと説明できていないということを指摘するのに「こそこそと悪口」を書くことについてまで言われたくない罠。
そもそもここで語っていない事柄について、ここに持ち込むは混乱のもと。
「悪口」かどうかも、そこを読んでいないわたくしなどには判断できませんので、一方的に「こそこそと悪口」などと書かれているのでは、そこで語られている内容に対し、また論者に対し、負の印象を持つだけです。公平ではないでしょう。
もっとも、他所に持ち込んだりしないで、面と向かって語れ。とは思いますが、人それぞれに振舞う自由はありますな。
ま、一応、まるちゐぬさんの名誉の為に付け加えときます。
まず、金田さんが書いている内容については、カトリック教会の法的な事柄として間違っていない。また、それを論じるに信者か非信者かということも関係ない。
まるちゐぬさんが何を問題としているのかは実は読んでいてよくわからない。
ただ、まるちゐぬさんが生活基盤としているフランスにおけるピオ10世会の実情は日本における実情と違うということは、彼女が以前、主張した通りである。
しかしそれを日本に当てはまるかというとそうではないわけで、その辺りの情報が共有できていない為に齟齬が生じているようである。(ちなみに、これに関しては金田さんがフランスの情報を提供して欲しいと書いていた)
フランスにおけるピオ10世会の影響は日本とは比べ物にならないほどいたるところにある為に、まるちゐぬさんの危機感については理解できる。
ただ、そういう実情を日本に住んでいる者たちに判って欲しいといってもなかなかに難しいだろう。
まるちゐぬさんが想定して考えているのは、ピオ10世会の人々がカトリックに帰還、ないしカトリックのミサにあずかる場合のことまで考えているのではないか?
反面、金田氏はあくまでもピオ10世会のミサに信者が与る事の是非について述べているのであって、上記の事柄については述べいていない。
とにかく、論者が信者か?そうでないか?ということをここで問題にするのは間違い。
・・・てな感じでした。
まぁ、冷静に観察していた、カトギョーカイの第三者の意見なんですが、ご参考までに。
ご飯食べてるときにごめんなさい>某師
mixiでの「悪口」というのは私に対してという意味ではないですよ。
私の発言の力点は「悪口」云々にあるのではなく、私の書くものに不満があるなら、誰でも見られるブログなりサイトなりを立ち上げて、私の内容を陵駕するものを書いてくださいということです。
そう要求するのは、そんなに不躾ですかね? 相手はさんざん私のカトリック理解について馬鹿にしているのですよ?
まぁ他所の話を持ち込むと紛糾するでしょうということなだけで、師匠が要求していることについての是非には言及していません。
>はやくそう明示的に書かれているソースを呈示してください。
「教会に行けば」「行かない」
「判断力がある大人には必要ない」
で、解決済みではないですか?
司祭が私に教えてくれたことのソース?
だったら2000年前の物的証拠を提示してくださいよ。
それくらい「愚」とどうしてわからない?
>できないのならば、ここで公に誤りを認め、私に対する今までの言いがかりを謝罪してください。
というか、私が別所で他宗派の秘跡を挙げて説明した文面を読みました?「一面」という語の捉え方がまず違うのではないですか?
>mixiでこそこそ他人の悪口を書いている
悪口を書いた記憶はありません。悪口にしか読めないのはあなたの心象の貧しさのせいです。お気の毒に。他人をおとしめる行為をこの場で露にされるのはご自分が損になることくらいの社会性はお持ちですよね?
>私のカトリシズムへの愛を語る為にあります(笑 別に研究発表でも何でもない。
その「愛」とは何?
カリタティスかえ?
>「良くて海外公立大学の神学部基礎過程の研究発表レベル」の記事にまで論破されてるわけですな
貴殿はそれ以前に教会の喫茶室で失笑されていることに気付かないですか?はっきり言って教会バザーに未信者さんにも出店を求め、お客を呼んでいただいたけど売り切れを見て、暇そうにしている人を見ているようなイメージです。なぜ他のお店を売れるようにしたり、手が足りない店に労力を使いませんか?カトリック教会の懐の深さを軽んじないでくださいね。
>カトリック教会の法的な事柄として間違っていない。
私はもう既に数日前にそれをコメント欄で申し上げているのです。「違法」という結論は既に理解しているし、それはすでに1988年で明らかであり確固だと。ですからanbaiさんが教会が有機的存在であり、法においても司牧的配慮を求めると言う補足のコメントを書いてくださったのです。例えば一年前のワルシャワ大司教事件が教会法のみによる裁きでも対処でもないことでわかるではないですか。
>しかしそれを日本に当てはまるかというとそうではないわけで、その辺りの情報が共有できていない為に齟齬が生じているようである。
私は既に聖座によってFSSPのアジア管区設置の認可が下りるだけでも日本の現状のためには大きな転換になるとコメント欄に書きました。この19年でアジアだけFSSP管区がありませんし、1962典礼の修道会(教区立、教皇立とも)認可もありません。このコメントに対して「あなたが勝手にやればいい」という他人事のような日本人信者からの意見もコンフィデンシャルに既に頂戴しています。残念です。
>そういう実情を日本に住んでいる者たちに判って欲しいといってもなかなかに難しいだろう。
神父さまのおっしゃるとおりですね。日本ではなぜか典礼問題ばかりが不一致理由に挙げられていますが、欧州各国では第二バチカン以降1962ミサは各地で行われ続けていました(フランス国内については別コメントに書いた数字のとおりです)。つまりB16がおっしゃる教義上の問題点は典礼問題以外に「も」あると日本人も知る必要があります。(カト新の関連記事を拝読し改めてそう思いました)。
ピオを追放になったBP院長がB16に「ルフェーヴル派は最早真のカトリック信者たるルフェーヴル師がいない派閥だ」と直訴されたこと、この院長がルフェーヴル派を追放されてもルフェーヴル師への敬愛はまったく変わらないこともB16はご存知です(そう院長ブログに書かれています)。こういう文書にもなっていない部分からもいろいろ実情が見えるものです。一般全国紙でも教会以外の社会面からの考察でいくらでもFSSPXの名は出てきます。
ピオ問題はドイツ語圏、フランス語圏でいろいろありますので、本当にマジメに興味があるのなら英語文書だけではどうしてもツメが甘くなります。仏文で申し訳ないと前置きして紹介もしましたが、そのHPに翻訳ツールまでついているのに、ご自分で辞書を引き訳すことになったのは私のせいのごとく既に述べられていますので仕方がありません(私がこの件で交流する方々は仏語を英訳ツールにかけ、それを和訳にかける労力さえ惜しまず調べてらっしゃる方ばかりです)もちろん、今は英語文書しかご覧にならないということも重々よくわかりましたので、ここがそういう程度のブログなんだと理解しています。
>金田氏はあくまでもピオ10世会のミサに信者が与る事の是非について述べているのであって、上記の事柄については述べいていない。
ですから、別コメントに「結論は既に出ましたね」と書いたつもりですけれど。
既に述べた私見は以下のとおり
*「ピオ司祭の叙階は有効」→ それはピオに限ったことではない。
個人がカトリックに転会を求めた時、平等の審査条件に過ぎない。
*「違法だから行くな」とブログ主が言ったところで、彼らは行きます。彼らを行かせないようにする決定打にはならない。なぜならカトリック信者には
>全ての人々に同じように良心の声があり、それを無視することができず、このような良心の声があるという事実は人間が人間以上の法に服しているということ(カトリック要理より抜粋)
と何回も書いています。
これを読んだ個人(受洗に関係なく)が教会法を用いて「論破する」なら、それもどうぞ御勝手に、としか言いようがありませんけれど。「未信者による前代未聞空前絶後のブログ」なんでしょう?だから既に「今後を楽しみにしています」と締め括りも書きましたけれど。
こちらのブログ主を弁護される方からピオを支持する人がピオ礼拝に行くことについて「彼らが違法を違法と思っていないから。ピオ会がそう「違法ではない」とアピールしているから」という意見もありましたが、それについても「それはまったく理由にもならない」と私は既に意見を述べています。ピオは確か「信仰上の非常措置」とかおっしゃって司教に認可を求めないまま礼拝を行っている旨、公表していますよ。
まあ、フランス国内では民事訴訟においてはバチカン&フランス司教団チームが常勝で教会固定資産は次々と取り戻していますけれどね。まだまだ係争は収まらない。というより、B16はガンガン取り戻しますよ。頑張れ、B16!
教皇さまとカトリック教会の平和と一致のためにお祈りください。
不愉快なエントリーかも知れないことくらいは分かっていたので、
無理は申し上げないつもりでおりました。当方こそすみません。
寛大なご対応に御礼申し上げます。
わたくしが紹介した某師の感想はあくまでもここ全てを読んだ所感です。ゆえに既に説明している通りのことは了解の上での紹介ですから、「私は既に述べた」「別の場所に書いた」等の確認について言及する必要はありません。余計にこじれる元です。
尚、まるちゐぬさんが問題にしている事柄や、また想定しているフランスの事情等についてですが
「まるちゐぬさんがもっとも気になっている事柄はおそらく司牧の現場でのことについてであろう。」・・・という感想でした。
つまり、まるちゐぬさんにとって、既に金田氏が書いている内容に関しては承前の事柄であり(つまりその前提については共有している)、それからの問題、つまり「では、現場ではどう判断し振舞ったらよいのか?」について考えているわけでしょう。それについては、既にまるちゐぬさんが度々言及、指摘なされていましたね。
確かにそのレベル、つまり司牧に於いては聖職者の判断が必要となります。日常の信仰生活の話になります。
それがここで共有されていないのは、その司牧の現場における判断は聖書者と教会の信徒の信仰生活レベルの話になるゆえに、金田氏はそこについて言及はしていないし、また言及は出来ないでしょう。そこからは司牧の人々の問題であると考えているからだと思います。
そこをして「限界がある」という主張がまるちゐぬさんの主張ではないかと推察いたしますが。
そしてまた、その司牧の現場について日本とフランスでは光景が違っている為、なかなかその温度等、問題等が伝わりづらいのだとは思います。この辺りは皮膚感覚的なものでもありますから、説明を要するかもしれません。そこでもすれ違いが起きたと見ていますがどうでしょうか?
(尚、師匠のいらん煽りにいちいち乗っちゃ駄目だよ。。。師匠は猫科な気がする・・)
> *「ピオ司祭の叙階は有効」→ それはピオに限ったことではない。
ピオに限らないってどういうことですか?
プロテスタントの聖職者の叙階は、カトリックに改宗してようとしてもそのまま有効にはなりませんよ。
>*「違法だから行くな」とブログ主が言ったところで、彼らは行きます。
>なぜならカトリック信者には
>>全ての人々に同じように良心の声があり、それを無視することができず、このような良心の声があるという事実は人間が人間以上の法に服しているということ(カトリック要理より抜粋)
>と何回も書いています。
カトリック信者に良心があるなら、教皇と一致していないグループのミサには与らないはずでしょう。
まるちゐぬさんの言い方だと、まるで彼らの良心が示すのはSSPXミサに行く
ことだと言っているみたい。
>ピオは確か「信仰上の非常措置」とかおっしゃって司教に認可を求めないまま礼拝を行っている旨、公表していますよ。
まさに緊急事態だという理屈で、違法に当たらないと言い訳しているわけですが?
>日本ではなぜか典礼問題ばかりが不一致理由に挙げられていますが
それは認識不足でしょう。
前教皇様がアッシジに開いた他宗教との祈りの会合など、エキュメニズムのありかたを日本のピオシンパはしょっちゅう批判しています。典礼問題だけということはありません。
ですからね、あんとに庵さんがおっしゃったことを全て既にコメント済としか言えませんよ。
改めてまとめてくださいましたこと感謝いたします。
「読解力があれば司祭は要らない」というここのブログ主さん主催の集いに参加するのも、単語検索でいざなわれた本人が良心の声に従って判断するしかないです。その良心をも教会法でブログ主が論破できるなら、そのショーをとくと拝見としか言えません。(良心が「見とーない」と言うまでだけど)。
>そこをして「限界がある」という主張がまるちゐぬさんの主張ではないかと推察いたしますが。
そうですね。上に例えましたように、もう「空っぽ」「売り切れ」を目の当たりにしたから「だからこれからどうするの?」と神学部ゼミだったらツッコミが入るよ、と書きましたけど返答ないですね。
ほうぼうでカトリック信者が「違法だから行くな」とのみコメントを書いているのは哀れを感じます。他人からの結論のみの押し付けにびくついて行かなくなるなんて大人の皮をかぶったガキです。成人にもかかわらず「まともな思考力」がないからそういうことができるという証拠だったりする。それさえ理解できない成人はお気の毒。( ̄人 ̄)
あのね。まるちゐぬさんのコメントをまとめたのは、まるちゐぬさんが書いている内容が読者には支離滅裂にしか受け止められてないからですわ。「意味不明」という感想が多いんで、半分はROMしてる人等のためですわ。
>全て既にコメント済
そういうなら自分自身の主張をきちんとまとめ、正確に伝達する文章能力をまずつけてくれ。
アホみたいに再確認しなきゃならないぐらい判らないんだぞ。
>神学部ゼミだったらツッコミが入るよ
これは司牧でどう応用するか?の範囲で、そこは言及できないだろうし、証明する必要もない。司牧者の仕事。
金田さんが証明した事柄を前提に、たとえばこういう事例があるが、この場合はどう判断した方がいいかとか、そういう判断は司祭に仰ぐ分野だな。
9月22日付エントリーのコメントのやりとりを過去を追ってまとめるのが難しいことくらい私だってわかります。こちらでのエントリーやコメントのやり取りをほぼリアルタイムで読み続けている方々からはきちんとした感想や意見を複数、既にいただいておりますのであしからず。
>これは司牧でどう応用するか?の範囲で、そこは言及できないだろうし、証明する必要もない。司牧者の仕事。
ですから、そう既に私は述べています。その突っ込みに無返答ですから(わたくしにおきましては)複数想定場所において神学部は既に除外しました。気の毒なのはキーワード検索でここをご覧になる方にカトリック信者が多いことで、信者の立場で素朴な意見を書けば、こういう反応がブログ主から戻ってくるという例も既にしっかりできました。
>金田さんが証明した事柄を前提に、たとえばこういう事例があるが、この場合はどう判断した方がいいかとか、そういう判断は司祭に仰ぐ分野だな。
ブログ主ご本人はそれをなさらないことも、弁護される信者さんのお口添えで明瞭です。それでよろしいかと。
他人様から賛美されるほどの英語力をブログ主が持ってらっしゃるならそれを生かして新しい真相を知る行動もされるかと思いましたが、あくまでもご自分で探し前世紀の古い英文公文書読解とその自己判断と感想のまとめをこの場で披露するのが目的、読者対象は「日本国内の(まともな思考力のない)日本人のため」とコメントの交換ではっきりしたのでよろしいのではないですか?
こちらに頼らずとも日本国内の宣教修道会で修道会本部や総長と連絡を取られる方々と面談し、この問題についての文書や書籍を紹介していただいた方が私には大きく確かな実りを見出せます(既に実行し続けていますけど)。もしそれをブログ主さんがしたら「自分の楽しみが失せる」ということも重々承知しております。だからこのスペースが個人の「趣味」だとはっきりしました。他所のブログや掲示板で信者さんから「趣味とはなにごとぞ」と怒髪天突かれても痛くも痒くもないのも当然ですよね。
>>はやくそう明示的に書かれているソースを呈示してください。
>「教会に行けば」「行かない」
>「判断力がある大人には必要ない」
で、解決済みではないですか?
つまり、聖ピオ十世会の叙階は「一面では無効、一面では有効」と明示的に書かれているソースはまるちゐぬさんには出せない、と理解していいんですね。
>>カトリック教会の法的な事柄として間違っていない。
>私はもう既に数日前にそれをコメント欄で申し上げているのです。「違法」という結論は既に理解しているし、それはすでに1988年で明らかであり確固だと。
「カトリック教会の法的な事柄として間違っていない」というのは、聖ピオ十世会の叙階が「違法だが有効」ということですよ。
まるちゐぬさんがいつまでたっても認めないのは「違法」の部分ではなく、「有効」の部分です。
「違法だが有効」というのが間違っているのなら、件の神学者の方はそう明言していたはずです。
>*「ピオ司祭の叙階は有効」→ それは>ピオに限ったことではない。
>個人がカトリックに転会を求めた時、平等の審査条件に過ぎない。
angelic felineさんが触れておられますが、もしかしてまるちゐぬさんは、再洗礼の場合と再叙階の場合を同じようなものだと思ってますか?
再洗礼の必要がないのは、三位一体を信じるキリスト教諸派のほとんどの信徒の場合です。
再叙階の必要がないのは、カトリック以外で使徒継承のある教会に属する聖職者の場合です。
したがって、聖ピオ十世会の司祭の帰正の際に再叙階の必要がないのであれば、彼らの叙階は有効ということになります。正教会の聖職者の場合と同じことですね。
すごく簡単ななんことですよ。
「ルフェーブルは有効に司教に叙階された」
ということを認めるのならば(おそらく、まるちゐぬさんはこれは認めるでしょう)、彼による司教・司祭の叙階は有効です。また、彼によって叙階された司教による司祭の叙階もまた有効です。
「一面では無効、別の一面では有効」
こういう言い方をすること自体、叙階の秘跡の有効性についてさっぱり分かっていない証拠です。
叙階の秘跡は有効か無効かどちらかです。イチかゼロかで中間はありません。「有効かつ無効」という事態もありません。叙階の秘跡は「シュレーディンガーの猫」ではありません。
>ピオ問題はドイツ語圏、フランス語圏でいろいろありますので、本当にマジメに興味があるのなら英語文書だけではどうしてもツメが甘くなります。仏文で申し訳ないと前置きして紹介もしましたが、そのHPに翻訳ツールまでついているのに、ご自分で辞書を引き訳すことになったのは私のせいのごとく既に述べられていますので仕方がありません(私がこの件で交流する方々は仏語を英訳ツールにかけ、それを和訳にかける労力さえ惜しまず調べてらっしゃる方ばかりです)もちろん、今は英語文書しかご覧にならないということも重々よくわかりましたので、ここがそういう程度のブログなんだと理解しています。
私がいつどこで「ご自分で辞書を引き訳すことになったのは私のせいのごとく既に述べられています」んですか。
いいかげん、言ってもいないことを言ったかのような言いがかりは止めてください。貴殿はangelic felineさんにも同様の言いがかりを何度もしています。
翻訳ツールって、自動翻訳機のことですか? 少なくとも私の知っている翻訳ツールは、使いものにならないですよ。少なくとも自分でも読めなければ、無茶苦茶な理解になることでしょう。
ご自身が仏語ができるのですから、そのスキルを使って啓蒙してくれたらいいだけの話ではないですか。
そもそも私は仏語はおらか英語もろくにできません。スキルのある方が私のしていることを代わってやってくれたらいいのにと常に願ってますよ。
読み手に誤解されても仕方がないです。
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まるちゐぬさん、
あと本題と関係ないんですが、仏語のソースにリンクしていただくこと自体はありがたいんですが、私は読めません(辞書を引き引きしないと無理)し、ここの読者の多くもそうでしょう。
内容をかいつまんで説明していただけるとありがたいんですが。
(中略)
いちおう自力で読んでみましたが・・
Posted by kanedaitsuki at 2008年01月04日 10:29
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申し訳ありませんが、これまでピオの問題で交流があった方々とフランス語の文献を交換しても、誰もがツールを使ってでも、そのツールの不足はわかっていても、真剣に取り組まれていましたこと申し上げておきます。
英語につきましては、それを専門にする立場で個への評価をここには書きませんが、ここでの推薦者からの賛美につきましては私には無に等しい(既に某所にて英和訳数例拝見しています)ことを申し添えておきます。
もうひとつ、書簡につきましても各国、公文書におけるプロトコルがあり、日本ではどうもそのプロトコルを曖昧にしたまま、文書を解読される方もいらっしゃること。
宣誓書とその儀式の習慣などからも鑑みて、教会側とルフェーヴル師の関係も考察する必要もあります。「文書を読めた、判った」だけでは公文書分析は成り立ちません。
私は二者の間で交わされたメールついてわたくしがいただいたメールについてだけの転載を受け入れましたが、そこに書かれている誤解についてここで弁明しないままに放置しておりますこと、ご理解ください。
>貴殿はangelic felineさんにも同様の言いがかりを何度もしています。
承っておきます。
>そのスキルを使って啓蒙してくれたらいいだけの話ではないですか。
既に。(^_^)
何度も書いていますけど、手段が違うだけで、知らないだけではないでしょうか。この件について啓蒙の最先端はB16です。教皇さまのみむねのために各自ができることをよろこんでします。が、教会文書でカトリック信者はがんじがらめに縛られていません。良心の声を聞かず、法に縛られている人はそれが信仰の方法に過ぎない。哀れむべき人です。
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会則によって聖務日課を唱えない者や、他の方法に変更しようと思っている者が見つかった場合には、またはカトリック信者ではないということがわかった場合には、兄弟たちは皆、どこにいても、またどこでそのような者を見つけても、その見つけた最寄りのクストスに、従順によって彼を渡さねばなりません。クストスはかれを自ら管区長の手に渡すまでは、自分の手から奪われないように、囚人のように彼を昼夜厳重に監守するように、従順による固い義務を負っています。
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世俗信者の立場であれ、心に常においておくべき内容であります。なぜなら大きなカトリック教会の中の一部にこの言葉が受け継がれているからです。
>こういう言い方をすること自体、叙階の秘跡の有効性についてさっぱり分かっていない証拠です。
承知しました。きょうはバチカンのエクレジアデイ委員会の会員である方にお目にかかりますし、私の指導司祭もバチカンから今日明日中に戻って参りますので、日本からそういう意見を頂戴しましたこと申し伝えます。
>再叙階の必要がないのは、カトリック以外で使徒継承のある教会に属する聖職者の場合です。
なんというか・・・私には言われなくても当然レベルですけど。
ですから一度でいいから叙階式、任命式をご覧になったらどうですか。典礼文をしらみつぶしに読み直してみられてはどうですか?教会法以前の問題というか、教会法が文書が簡潔でわかりやすいなら、「それまで」です。分かち合いが難しいだけです。信者でなくても興味があれば物見遊山で通りすがって見ることも可能です。きょうはバチカンで誓願式があります。準秘跡扱いになりますでしょうか。
信仰を通して感覚で納得している方と独学の方のケンカは、嫌みじゃなく見ていて普通に興味深いですね。
自分でやるには精神力が持たないだろうから(笑)
ご意見、しかと承りました。
コリント13:1-3のごとく、もし愛がなければ、私はやかましいドラ、騒がしいにょうはちであり、私は無であり、無益な存在です。が、現在、かなり私において愛が不足しておりますので、どうぞ神さまの愛が私の不足を埋めてくださいますようお祈りくださいませ。(^_^)
双方共に知識が豊富な重量級の戦いというか、珍しい組み合わせなんで、私のような野次馬には面白いですね。
ただ、時々罵倒の応酬になっとるのがリソースの無駄だ。
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まるちゐぬさん、
あと本題と関係ないんですが、仏語のソースにリンクしていただくこと自体はありがたいんですが、私は読めません(辞書を引き引きしないと無理)し、ここの読者の多くもそうでしょう。
内容をかいつまんで説明していただけるとありがたいんですが。
(中略)
いちおう自力で読んでみましたが・・
Posted by kanedaitsuki at 2008年01月04日 10:29
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に対して貴殿は、「ご自分で辞書を引き訳すことになったのは私のせいのごとく既に述べられています」
と述べました。
上記の文章中のどこに「辞書を引くことになったのは貴殿のせいだ」なんて書いていますか?
「リンクをする場合は、内容をかいつまんで説明してください」
というお願いと、
「いちおう自分で読んでみた」
という事実の説明だけです。
もう一度聞きます。
上記の文章中のどこに上記の文章中のどこに「辞書を引くことになったのは貴殿のせいだ」なんて書いていますか?
ひとの書いたことを自分の脳内で勝手にねじまげないように。
>英語につきましては、それを専門にする立場で個への評価をここには書きませんが、ここでの推薦者からの賛美につきましては私には無に等しい(既に某所にて英和訳数例拝見しています)ことを申し添えておきます。
>もうひとつ、書簡につきましても各国、公文書におけるプロトコルがあり、日本ではどうもそのプロトコルを曖昧にしたまま、文書を解読される方もいらっしゃること。
私は自分の英訳が完璧であるとはちっとも思ってません。だから次のように書きました。
「そもそも私は仏語はおらか英語もろくにできません。スキルのある方が私のしていることを代わってやってくれたらいいのにと常に願ってますよ。」
私が翻訳した文書を、ほかの誰かもっとスキルのある人がやってくれるなら、大変ありがたいことです。
しかし、私が日本語化した文書のほとんどは、今まで誰も全文翻訳してません(「エクレシア・デイ」については、ヨセフ・ジェンマさんが私より先に訳してます)。先鞭をつけた意味は間違いなくあるでしょう。
もっと多くのひとがこの作業に参加してくれればと願ってます。
まるちゐぬさんに対しては、英語仏語に堪能なのはうらやましく思ってます。ぜひとも聖ピオ十世会問題についての、一次資料の日本語化をしていただきたい。
>>再叙階の必要がないのは、カトリック以外で使徒継承のある教会に属する聖職者の場合です。
>なんというか・・・私には言われなくても当然レベルですけど。
わかりました。では、あらためて確認します。何度も言ったと思われるかも知れませんが、そこは御寛恕ください。
まるちゐぬさんは、
「聖ピオ十世会の司祭は、カトリックの帰正の際、再叙階の必要はない」
という御意見でよろしいんでしょうか。
イエスかノーかだけでもお答え願いますか。
>他人様から賛美されるほどの英語力をブログ主が持ってらっしゃるなら
私が買っているのは金田さんの「言語力」と申し上げたはずです。「英語力」にすり替えられてしまうと、意味が狭められ、変わってしまいます。
言語力には日本語を理解することも、自分の言葉で考えを表す能力も含まれています。
単に英語が読めるだけの人なら、言語力を買うとまでは言いません。そんな人いくらでもいるでしょう。
読んだ文書を正しく理解し、意味するところを細部まで正確に日本語に置き換えることは、英語力があるだけではできない仕事です。
いくら複数の言葉が巧みにしゃべれる人であっても、誤解や勘違いが多かったり、母国語で自分の言わんとしていることを相手に伝わるように表現できなければ、言語力が高いと評価してあげられません。
あんとに庵さんには以下のように言われても反論せず、
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さぁ?師匠の書き方ではそうとられても仕方ないですな。現にわたくしはそう誤読しました。
Posted by あんとに庵 at 2008年01月12日 22:12
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私が貴方に
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kanedaさんへ、以下の文面です。
読み手に誤解されても仕方がないです。
Posted by まるちゐぬ at 2008年01月13日 15:56
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と書いたところで、貴方が
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ひとの書いたことを自分の脳内で勝手にねじまげないように。
Posted by kanedaitsuki at 2008年01月14日 11:47
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と返答しても、貴方が相手によって態度や反応を代えていることがここで露になるだけです。表明してくださってありがとうございます。
私個人について言えば、既にBP院長が「今のルフェーヴル派は真のカトリック信者であるルフェーヴル師を除いた団体と化した」という言葉から、ルフェーヴル派がどう変容してしまったかに興味があります。こういう点は実は一般紙の方が鋭く定期的に掲載している事項だったりします。インテグラリストの受け入れとトラディショナリストへの尊重も文章にはならずとも目の当たりにしている事項(揉め事もみています)です。
>「聖ピオ十世会の司祭は、カトリックの帰正の際、再叙階の必要はない」
再叙階「式」の必要はないと思われですよ。
ただし、ミサ中に世俗信者を証人に立てての(信仰)宣言があるだろうと拝察。
当たり前だのクラッカーです。このブログが始まる前から一点の曇りもないことではありませんか。
フランス語で申し訳ありませんが、昨年9月22日にBPで初の叙階式が行われおり、以下はそれを紹介したBP公式HPです(もちろんBP院長のブログではさらに突っ込んだ彼個人の意見が述べられています)。BP創立一周年と14日後に叙階できるという意味がわかりますよね?彼らはそれ以前はどこの宗派の神学校にいたか、などなど。彼らは聖座のご好意により既にAumonier(施設付司祭)になる場も提供していただけました。
http://www.institutdubonpasteur.org/menu.php?item=actualites
以下は叙階式当日の写真集ですが、文字はなくとも写真で十二分に状況把握はできますわね。ホヨス師もリカール師もおるでよ。
http://www.institutdubonpasteur.org/albums/index.php?id_rub=8
BP院長も按手していますが、彼自身が再叙階されたという話はまったく聞いていません。なぜホヨス師司式なのか。なぜリカール師が横に座ってらっしゃるか。これはボルドー教区で公開されているリカール文書を読めばBPの現在のステイタスが全て書かれています。このステイタスの問題がフランス国内での議論が二分している点のひとつでもありますが、信徒はきちんと段取りを踏んで、教皇様に既に直訴済みでもありますことここに書いておきます。もちろん聖座もそれは理解してらっしゃいますし、前例としてFSSPに新たな信頼を与えるまで19年かかっていることでも私達が納得できることかと思います。BPが20年くらい先に聖俗信者の誰もから信頼される団体となりますよう、お祈りください。
「叙階式」と「再叙階式」もわからないの?バカ!というコメントは勘弁してください。
ここ、Elohim. Essaim. Frugativi et appelavi! ばりの愚かな場と化しそうですね。良心の黄信号が鳴っているのは私だけではないかと思います。
>Adieu の意味を日本語で書いても理解できないままおしゃべりを止められない方
このブログ内の文章にコメントするのは私の言論の自由の範囲内のことです。(金田さんからも自由に書いて良い旨、お墨付きをいただきましたし。)
書き手がまるちゐぬさんだからコメントしているわけではないし、別の人が書いても同じ反応をするでしょう。
まるちゐぬさんが一方的にさよならを言うと、私が反応してはいけないなんてことはないでしょう。もちろん私なりの配慮はありますから、個人的なメッセージはあのあとから1通もお送りしていません。
ところでAdieuを言ったはずのあなたは、なぜか別エントリ内で私のコメントに反応している。
人のことは自分の作った規則で縛るが、自分はそれにとらわれないというのは自由気ままでいいですね。
また、貶めようとしているというのは悪意に受け取りすぎです。
でもあまりひどい書き方が続いているので、元来皮肉屋の私だって我慢せずそろそろ少しばかりお返しするかもしれませんよ。
わたくしが指摘した
>さぁ?師匠の書き方ではそうとられても仕方ないですな。現にわたくしはそう誤読しました。
という回答に金田さんは、自身の文書を客観的に検証し誤読されても仕方ないととったのでしょう。(もしくは「あんとに庵のようなかぼちゃ頭じゃ理解できないんだろうよ」と見棄てられたのかもしれんが)
まるちゐぬさんの指摘している箇所に関しては私が指摘した文書とは違うので、同列に評価は出来ない。
まぁ、第三者として、そこの文面を読んで「まるちゐぬさんの性で金田さんは辞書引く羽目になった」とは受け止めないです。「有益なソースを出してくださったのは有難いが、読めないっす・・・泣」的な印象の文であって、まるちゐぬさんに対しなんらかの批難をしている文章とは受け止められません。
「相手によって態度を変える」ようなかわいらしい性格じゃないよ。金田さんは。相手がどんな仲のよい友人だろうと、納得しないことに対し、容赦しないことは既にわたくしも経験済みっす。(そういう時の師匠は大層嫌味である。)
・・・ところで、金田さんは、今、山にいっちゃったらしいですね。
まるちゐぬさんの現地情報収集能力と仏語能力を生かして、そちらの事情を教えて欲しいというのは、金田氏のみならず、ここの読者は思ってるんじゃないかな?
>「聖ピオ十世会の司祭は、カトリックの帰正の際、再叙階の必要はない」
まるちゐぬさん:
>再叙階「式」の必要はないと思われですよ。
ただし、ミサ中に世俗信者を証人に立てての(信仰)宣言があるだろうと拝察。
再叙階式でもないし、再叙階でもない。
正確なタームは知りませんが、宣誓式とか認定式じゃないですか?
それを今まで「再叙階」だと言い続けて来たのだとしたら、話が通じるわけないですよ。
私は言っておりません。
私は金田さんに辞書を引く手間を与えてしまったこと、ご労力をかけたことを既に以下のように謝罪しています。
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ナンテール教区のHPは丁寧に見ますと、TRANSLATE と明記、かつ、英、米、独、西四カ国の国旗を出して、翻訳システムツールを読者に提供しています。HP内からTranslateという単語と各国旗をどなたも気付かれなかったことは残念ですし、ブログ主さんにおかれましては気付かれないまま辞書を使われてのご労力と時間の無駄の作業を私から提供してしまいましたこと、この場を借りてお詫びいたします。
Posted by まるちゐぬ at 2008年01月11日 01:47
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私は1月11日付でこのように謝っております。許していただけなかったのは残念ですが、ここがそういう場であることも身に沁みてわかりました。
>そちらの事情を教えて欲しい
たとえ真実をこちらに書いても私の言語力、読解力がないという理由でまるで嘘を述べているような話にブログ主ではなく第三者によって変えられておりますし、読者がそれによって翻弄される可能性がありますので止めることにします。
BさんやCさんの言語力、読解力を否定することではありません。
他人が褒められると自分は貶されたと受け取るのは、精神的に自立していない人に見られる特徴です。
そいつぁあ、そもそも謝る必要なかったことだと思うし、赦すも赦さないも、金田さんも謝罪の要求してないと思うんだけど。
なんか、そこんとこナーバスになりすぎやねんで。
もう、気にせん方がいいと思う。
気を取り直して、またそういう話題になったら、情報ヨロ。
「通りすがり」のようなHN、いわゆる「捨てハン」は、当ブログコメント欄において使用しないでください。
始めて投稿される方は「投稿ガイドライン」をお読みいただくようおねがいします。
http://defencecatho.seesaa.net/article/74890506.html
「まるちゐぬさんの現地情報収集能力と仏語能力を生かして、そちらの事情を教えて欲しいというのは、金田氏のみならず、ここの読者は思ってるんじゃないかな?」
(Posted by あんっとに庵 at 2008年01月14日 21:53)
まるちゐぬさんが大変物知りであり、私たちの知りえない情報を提供できる方であることは、私を含め、ここの読者みなが認めていることだと思います。
しかし、私も含め日本語以外の言語に不慣れな読者も多いわけです。まるちゐぬさんは、読者が自動翻訳ツールなどを使って読むことを期待しているようですが、仏語のサイトにぽんとリンクされても、ほとんどの人は単にスルーしてしまうでしょう。これは客観的な事実を述べているのであって、別にまるちゐぬさんを責めているのでも何でもないのです。
だから、私はまるちゐぬさんに、多くの読者の益のために、内容をかいつまんで説明してもらえませんかと頼んだわけです。
それに対して、「いや、そんなことは私はやらない。読む努力をしないやつらは別に読まなくてもいい」とまるちゐぬさんがおっしゃるのでしたら、私もこれ以上無理を言うつもりはないです。