2008年02月19日

聖ピオ十世会のミサについて(ペルルの書簡)

"Letter by Msgr. Camille Perl Regarding Society of St. Pius X Masses"を紹介する。原文は以下。
http://www.unavoce.org/articles/2003/perl-011803.htm

ピオシンパをはじめとする過激伝統主義サークルにおいて、教皇庁立エクレジア・デイ委員会前長官ペルルの2002年9月27日の手紙における「聖ピオ十世会のミサへの参与は主日の義務を果たす」「聖ピオ十世会のミサへの参与は罪にならない」という文言が、聖ピオ十世会のステイタスの弁護に使われている。資料批判に慣れていない一般のカトリック信徒も、そうした噂に惑わされ騙されるケースも少なくないようだ。しかし、これはカルトグループにありがちな悪質な情報操作に過ぎない。聖ピオ十世会のプロパガンダには、似たような例が山ほどある。
以下の書簡は、そうした情報の歪曲を知ったペルル長官自らが真意を伝えるべく、伝統的ミサを推進する団体ウナ・ヴォーチェに送ったものである。挨拶を省いて訳す。


聖ピオ十世会のミサに関するカミーユ・ペルル師の書簡


ウナ・ヴォーチェ・アメリカはレムナント新聞や様々なウェブサイトで取り上げられた記事に関して、教皇庁立エクレジア・デイ委員会からの文書を受け取った。委員会の要請により、以下で発表する。


教皇庁立委員会エクレジア・デイ 2003年1月18日

カミーユ・ペルル師の回答:

お分かりになるでしょうが、不幸なことに、受取手によって私たちの書簡がどう扱われるかについて、管理する方法がありません。レムナントや様々なウェブサイトで明らかに引用されている、2002年9月17日の私たちの書簡は、私たちに手紙を送った個人の特定の状況を扱う私的な文書のつもりでした。公開討論欄に見られるものは、私たちの司牧的勧告の多くを削除した省略版です。この書簡の切り詰めた形が公のものになっているので、私たちの応答のより広い文脈を明らかにすることが適切であると判断します。

同じ手紙の主への以前の書簡において、私たちはすでに聖ピオ十世会の教会法的ステイタスを示しました。ここで手短にまとめましょう。

1.)聖ピオ十世会の司祭たちは有効に叙階されています。しかし、彼らは司祭の職務の行使を停止させられています。彼らが故ルフェーブル大司教の離教を支持する限りで、彼らもまた破門されています。

2.)具体的に言えば、聖ピオ十世会の司祭たちが執行するミサは有効ですが違法です。すなわち、教会法に反しています。

2002年9月17日の私たちの書簡における、この手紙の主へのポイント1とポイント3は適切に報じられています。第1の質問は「聖ピオ十世会のミサに参与することで、私は主日の義務を果たすことができるか」でした。私たちの回答はこうでした。

「1.厳密な意味では、あなたは、聖ピオ十世会の司祭たちによって行われるミサへの参与によって、主日の義務を果たすと言ってもさしつかえないでしょう」

第2の質問は「私が聖ピオ十世会のミサへの参与することは罪ですか」でした。私たちの回答はこうでした。

「2.私たちはすでに、そのようなミサへの参与を勧めることはできないとあなたに言いましたし、そのわけも説明しました。参与の主要な理由がローマ教皇との交わり、及び教皇との交わりにある人びととの交わりから離脱したいとの願望を明示することであるならば、罪になるでしょう。あなたの意図が、単に礼拝のために1962年版典礼書に従ったミサに参加することであるならば、罪にならないでしょう」

第3の質問は「私が聖ピオ十世会のミサでの主日の集金へ適度な献金をすることは罪ですか」でした。私たちの回答はこうでした。

「3.ミサでの集金への適度な献金は正当化されうるでしょう」

さらに、手紙の主は、委員会がきちんとした仕事をしていないと受け取っていました。私たちの回答はこうでした。

「この教皇庁立委員会は1962年ローマ・ミサ典礼書に従ったミサの執行の許可を、司教たちに強制する権威は持ってません。にもかかわらず、私たちは頻繁に司教たちと会っており、この規定が成されるよう看視するため、私たちのできるすべてのことをしています。しかしながら、この規定は、「伝統的」ミサを望む人々の数や、彼らの動機、それを執行しうる司祭たちをどれだけ確保できるかにも左右されます。」
「あなたはまた、手紙の中で、教皇が1962年版ローマ・ミサ典礼書に従ったミサへの「権利」を与えたと主張しています。これは正しくありません。教皇は兄弟である司祭たちに、このミサの執行の許可について、寛容であるよう求めました。しかし彼はそれが「権利」であるとは述べていません。現在、それは教会法にとって例外であり、教区司教が有効な司祭の業務であると判断し、執行できる司祭がいる場合に、許可されることがあります。すべてのカトリック信徒は秘跡に対する権利を持ちます(CIC can.843参照)が、典礼を選ぶ権利はありません。」


カミーユ・ペルル長官


すでに他の三通の書簡を紹介しているが、「聖ピオ十世会のミサは違法であり、その参与を勧めない」というペルル長官の立場は一貫している。
http://defencecatho.seesaa.net/article/71413807.html
http://defencecatho.seesaa.net/article/72780010.html
http://defencecatho.seesaa.net/article/73891949.html
違法ミサへの参与は、特定の状況下においては罪にならないことはあり、2002年9月17日の書簡を送られた個人の状況はそういうものであると判断されたのだろう。しかし、個別の問題は個別の問題に過ぎず、一般化はできない。すなわち、ある特定個人の、聖ピオ十世会の違法ミサへの参与が罪にならなかったからといって、「聖ピオ十世会への違法ミサに参与するカトリック信徒はすべて、罪にならない」とは結論できない。実際、ペルル長官は別の書簡において、以下のように言っている。
http://defencecatho.seesaa.net/article/71413807.html

信徒が彼らのミサに参加することは、もし彼らが適切な立場にあるカトリックの司祭によって執行されたミサへの参与を物理的もしくは精神的に妨げられているというのではなければ、道徳的に非合法なことだと見なされます(教会法844条2参照)。いわゆる「トリエント」ミサの執行に参列できないという事実は、そのようなミサに参列することの十分な動機とは見なされません。


"STATUS OF SOCIETY OF ST PIUS X MASSES Commission Ecclesia Dei"

ペルルの三通の書簡を受けて、すでに私は当ブログにおいて、ピオシンパの詭弁を論駁している。
http://defencecatho.seesaa.net/article/73891949.html

ところでこれと関連して、「聖ピオ十世会のミサへの参与は主日の義務を満たす。またそれは罪にならない」「聖ピオ十世会への献金は正当化される」としたペルルの書簡をかつぎ上げて、聖ピオ十世会を擁護する輩もいるようである。しかし、その書簡でのペルルの言葉は、実際には特定の状況下にいる個人のケースに限定されたものに過ぎない。個別の問題を一般化することはできない。
http://sspx.agenda.tripod.com/id71.html参照)
すでに紹介したペルルの3通の手紙から理解できるように、総論として、「ローマ・カトリック信徒は聖ピオ十世会のミサに行くべきではない」ことは明白である。それが「教会の声」である。その一方、個々のケースで、罪になったりならなかったりすることがありうるが、それは当たり前の話だ。
たとえば市民法において「殺人」は重罪であるが、同じ「殺人」でも実際には様々なケースが存在し、情状酌量に応じて刑罰の軽重は異なってくる。特殊な場合では、罪ですらなくなる(正当防衛)。しかし、個別の事件において罪でないことがありうるからといって、「殺人」は重罪などではなく、すすんで犯しても一向に構わない行為である、ということにはならない。これと同様に、聖ピオ十世会のミサに行っても罪にならない場合があったからといって、しかるがゆえに聖ピオ十世会は万事オーケー、ということには決してならない。

聖ピオ十世会の情報操作擬似論理によく見られるやり口は、このように個別的なケースを根拠もなく一般化することである。「ハワイの事例」などもそれに当たる。ハワイのホノルル司教によって、聖ピオ十世会の違法ミサに参与した信徒が破門されたが、聖座によってその破門が無効にされた。それは事実である。しかし、その事実から、一部のピオシンパがしているように、聖座が聖ピオ十世会のミサを承認した、とは結論できない。実際、ペルル長官は以下のように言っている。
http://defencecatho.seesaa.net/article/71413807.html

D最後に、私たちはこう言っていいでしょう。「ハワイの事例」は、前ホノルル司教はその件の人々を破門する根拠を持っていなかったという判決に終わりましたが、この判決は、聖ピオ十世会や彼らの聖堂にたびたび通う人々に対して、教会の認可を与えたということではありませんと。


"STATUS OF SOCIETY OF ST PIUS X MASSES Commission Ecclesia Dei"

「「聖ピオ十世会のミサへの参与は主日の義務を果たす」かどうかについても、「聖ピオ十世会のミサへの参与は罪にならない」かどうかと同じように考えることができる。すなわち、特定の状況下においては主日の義務を果たすこともあるだろうが、それを一般化することは決してできない
さて、1988年7月2日に、前教皇ヨハネ・パウロ2世は自発教令「ecclesia dei」において、ルフェーブルの離教運動へのいかなる支持もしないようにと、すべてのカトリック信徒に対して要求している。
http://defencecatho.seesaa.net/article/74778313.html

c)現状において、今までルフェーブル大司教の運動にいろいろな仕方で結びついていたすべての人たちに対して、厳かに心から、父として兄弟として私が特に訴えたいことがあります。カトリック教会と一体であるキリストの代理者との一致に留まるという重大な義務を果たし、どんな仕方でもこの運動への支持を止めるように。みな知っておくべきです。離教を公式に支持することは、神に対する重大な攻撃であり、教会法によってあらかじめ定められた破門という罰を受けるということを。(註8:教会法第1364条参照)


ecclesia dei

ローマ・カトリック信徒にとって、聖ピオ十世会に関して、この教皇直接の教会文書が最も権威あるものであることは言うまでもない。聖ピオ十世会の違法ミサへの参与が罪になるのは、確かにケースバイケースであろう。つまり、罪になることもあればならないこともある。しかし、この教皇の要求を真摯に受け止めるならば、かりにそれが罪や教会法的犯罪にならなかったとしても、きわめて危険な行為であることは最低でも言える。常に捕まるわけではないからといって、スピード違反が危険行為でなくなるわけではないのと同様である。そして実際には、極めて危険なのである。

(文責・金田一輝)



posted by kanedaitsuki at 12:41| Comment(2) | TrackBack(0) | 教会文書など | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
おお! ここまでかみ砕いて説明されれば、里田まいだけでなく、スザンヌや上地雄輔にもわかります。
Posted by angelic feline at 2008年02月19日 14:03
angelic felineさん、コメントありがとうございます。

>おお! ここまでかみ砕いて説明されれば、里田まいだけでなく、スザンヌや上地雄輔にもわかります。

いまどき珍しいピュアハートの上地君にも分かってもらえたら、とっても嬉しいです\(^-^)/
Posted by kanedaitsuki at 2008年02月19日 18:27
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