2008年09月01日

トマス・アクィナスですがなにか? article.2 針の先天使何人乗れるかな?

チャオ!
アッキーナだよ。みんな元気してた? 「トマス・アクィナスですがなにか?」コーナーはじめるよ!
今日の質問はお手紙みたいだね、なになに。「はりのさきにてんしさんはなんにんのれますか ペンネーム・コサカーナ大好きっ子」。そっち? ねえ、そっち? えっとそれはともかく、こういう疑問、ちょっと馬鹿馬鹿しいように見えるよね。昔のエラい人もそう言ってたし。でも、実はそうでもないんだな。
まず、天使なんだけど、人間とは違ってリアルな身体がないの。身体なしの魂みたいなもん。分かりやすく言うと、天使はバーチャルアイドルなんだね。初音ミクとかね。
で、身体がないわけだから、リアル世界に物体としてあるってことはない。でもね、ここだけの話、天使ってイタズラ好きなのよ。だから、時々みんなも知らない内にリアル世界にちょっかいをかけていたりする。『スターオーシャン3』がたびたびフリーズするのも天使の仕業だし、アニメ映画の宣伝かと思ったら実はパチンコメーカーのCMだったりするのも天使の仕業だし、中川翔子がダミ声なのも残酷な天使のせいで。
天使はリアルな身体を持ってないバーチャルな存在だけど、リアル世界に働きかけるリアルな力は持っているわけ。
で、そんなイタズラ好きの天使なんだけど、なわばり意識というのかな、そういうのがあって、ある天使がイタズラをしている時には別の天使は見てるだけ。協力プレイなし。だって彼らに言わせれば、「ひとりでできるもん」てこと。だから、天使のイタズラ現場を見る人が見たら、「ミカエル参上」とか「ガブリエル参上」なんてカードが置いているようなもの。
そういうわけで、同じ針の先にイタズラする時も、同時に複数の天使がノッたりはしないんだ。天使のプライドが許さないみたいだね。でも、本当を言えば、実はあれって点じゃなくて一定の広さを持った面なわけだから、針の先に押し合いへし合い無数の天使たちがノッても別におかしくはない。というか、その方が綺麗じゃない?
これで答えになったかな。じゃ、時間が来たからまたね!
アリヴェデルチ!

*当記事はSumma Theologica T Q.52 AA.1-3を元に、私が編集・構成したものです。文章の責任はすべて私、金田一輝にあります。

(文責・金田一輝)



2008年07月30日

トマス・アクィナスですがなにか? article.1 異端とかそういう類の人の叙階って有効なの?

チャオ!
トマス・アクィナスだよ。周りの人たちには「アッキーナ」って愛称で呼ばれてるから、みんなも街で見かけたら気軽に「アッキーナ!」って声をかけてね。
今日からはじまったこの「トマス・アクィナスですがなにか?」は、みんなの素朴な疑問に、天使みたいなドクターこと、このアッキーナが、どんどんお答えしちゃう、そんなコーナーだよ。
じゃあ、まず最初のメールから、えっとなになに「異端とかで教会から離れちゃった司教が叙階することがあるけど、あれって有効なの? ペンネーム・牛男爵さん」。ふむふむ。こういう疑問って確かにあるよねー。じゃあ、さくっと答えちゃおうかな。
まずそうだね、だいたいこれについては四つくらいの種類の考えがあるんだよね。まず一つ目は、「異端でも教会にとどまっている内は叙階の力はあるけど、教会から離れた途端、力がなくなる」って考え。でも、こんなのありっこないんだよね。聖別された時の力って、聖別された物が残っている限りは、無くならないんだもん。祭壇だってそうでしょ。だから、叙階されたら一生叙階されっぱなしなの。その人が罪を犯そうが教会から離れようが信仰を捨てようがね。
で、二つ目は、「教会から離れた司教には確かに叙階する力はあるけど、その司教に司教聖別された人にはその力がない」っての。ちょー受けるんですけど。教会で叙階された人に叙階や司教聖別の力が伝わっているなら、その人がその力を使って叙階した人にも、それとおんなじ力が伝わってるに決まってるじゃん。
三つ目は逆の極端ね。「異端とかで教会を離れた司教に、教会にいた時に伝えられた力が残っているのだから、司教は秘跡を与える力があるとともに、恩恵も与えることができる」。残念! 古いか。異端で教会を離れた司教や司祭から秘跡を受けるって罪だよね。罪ってことはふさしくない状態で秘跡を受けたことになるよね。そう、そういうこと。そういう場合は恩恵は受けられないんだったよね。まあ、緊急時の洗礼とかは別だけど。
四つ目はこう。「異端とかで教会を離れた司教による秘跡はたしかに有効だが、恩恵は与えない」。これが正解。
みんな、分かったかな? 巷では「破門されたら叙階は無効」とか言ってる変なおじさんがいるみたいだけど、みんなだまされないように気をつけてね。
じゃあ、今日はここまで。また次回。
アリヴェデルチ!

*当記事はSumma Theologica Suppl.Q.38 A.2を元に、私が編集・構成したものです。文章の責任はすべて私、金田一輝にあります。

(文責・金田一輝)





×

この広告は1年以上新しい記事の投稿がないブログに表示されております。